歴史

私の戦争疑似体験

 子供の頃、戦争映画が好きだった。
 好きだった、というのは語弊があるかもしれない。
 ただ、大人たちの甘い顔でかくされていた、日本の問題を知る手がかりとして、たくさんの戦争映画を見たのかもしれない。
 『きけ、わだつみの声』や、『203高地』で流れる戦争の歌をおぼえ、
♪海行かば~ み~ず~くか~ば~ね~(水浮く屍)♪ とか、
♪愛は~死にますか~ 山は~死にますか~♪ と小学校低学年の幼声で歌っていた。
 子供心に、
(戦争はいけない!)と思っていた。
 でも中高生になってくると、そう若者に思わせること自体が今の国家の“洗脳”であって、それは戦争時の天皇陛下万歳な“洗脳”と、本質的には同じではないかと思うようになって、戦争映画を見るのをやめた。

 最近になって、久々に戦争映画を見た。
 嵐の二宮くん主演の、『硫黄島からの手紙』。テレビでやってたので。
 今の若者向けの戦争映画だからか、白黒映画時代の、リアルな戦争体験にもとづくグロいエグい実情の描写は、ほぼなかった。
 で、悲惨な戦争場面を見ていて、昔思っていた(戦争はいけない!)というのとは、ちょっと違うな、と思いだした。
 最近歴女になって、戦国時代から幕末、明治、近代の歴史をさぐるうちに、どうも違うな、と。

 日本人がバカ化している。

 それが問題なのだな、と思った。
 戦争の悲惨さを見て、「戦争がダメ」と単純化するのではなくて、
 戦争を支配する首脳陣、指導者たちがダメになっているのだと気づいた。
 そして、日本の指導者たちのバカ殿化は、戦争が終わってからも変わっていない。むしろ進行している……!
 いちばん最近で偉大な指導者たちがいた時代というのは、ヘタしたら明治維新の頃までさかのぼらないといけないんじゃないか。

 でも歴史の中で、バカ殿化していない鋭敏明達な指導者がいる時期というのは、むしろ少ないのだと思う。
 偉大だったはずの指導者たちの2世3世は、平和な時代の中で、バカ殿化していくものだ。その時代がしばらく続いて、腐敗した上に、歴史の転換点でやっと、思考力のある天才的指導者が現れるようになっている気がする。
 もちろん例外的に、偉人や超バカ殿が現れる時もあるが、まあ常に指導者がすばらしい人であるというのは、ありえないことなのだろう。

 こんな潜在的な危機感を、子供の頃の私も察知していたかもしれない。
 映画で戦争を疑似体験(?)し、幼い私は思った。

 こんなバカな指導者たちに支配されていたら、捨てゴマ兵にされるぞ。

 これはとして、意識の底に強く根づいた。
 私はバカの命令にしたがって死にたくないと思った。
 なるなら、最後まで自分の意思を訴えつづけて生き残る、主人公になりたいと思った。
 バカな上官の命令はきかなくてもいい。なぜなら、バカの言うことをきくと死ぬからだ。
 これが私の絶対的防衛本能となった。

 そして、まわりの大人たちが、バカな上官と同じに見えた。
 バカというとキツく聞こえるけど、つまり『思考力がない、上からの命令だけにしたがっていて、まるで自分の考えがない』人間に見えた。
 そういう人間は危険だ。いつバカ殿から“洗脳”を受けて、悲惨な命令を発さないとも限らない。
 そう思った幼少の時点で、私は一般大衆的な思考と、永遠におサラバしてしまったのかもしれない。(もしくは元々持ち合わせていなかったのかも……)

 だから昔から、何も考えていない教師に、バカな上層部から植え付けられた思想で指導されるのは我慢ならず、みんなが言うことをきこうが、1人で反発していた。
 ましてや、バカ殿のいる会社に支配され、使い捨て兵にされるなどというのは愚の骨頂だ。
 もちろん、それに適応できる人というのはすごいと思う。深く考えず、とりあえず上の人の言うことを素直にきいて、平和に生きていこうとする姿は尊敬に値する。幼い日、上層部の人間というものに決定的な疑問を持ってしまった私には、ついぞできなかった生き方だから。私には、優秀な働き蟻様になれる素質はなかった。だからこそ、そんなフツーに生きている人々を、守りたいと思う。

 問題なのは、国の上層部だけでなく、日本人全体がバカ化していることだ。

 それはもう東大出の官僚から、フリーターの若者まで。
 自分で何も考えない人間が、集団発生している。
 彼らの言うことは“洗脳”による一般的な決めつけであって、自分の考えは、ない。
 なぜ誰も気づかないのだろう? または無意識に、気づかないふりをしている方が、平和だと思っているのか。でもその平和は、瓦解寸前だ。
 ただ食べて寝る肉塊になって、バカな上層部の機械になって動いているだけの存在でいいのか?

 そう思い警鐘を鳴らす人間が、社会の中にもう少しいてもいいんじゃないかと思う。
 だから私は常識を疑う。上層部の人間を疑う。集団思考を疑い、現代に息づく“洗脳”を探す。
 だから私は小さい頃から物書きになりたいと思ってきたのかもしれない。

 でも、驚いたことに、作家になりたい人間のなかにも、『何も考えていない』人間がフツーにいる。
 吉田松陰先生の「松下村塾」ならぬ、中山市朗先生の「作劇塾」なる、作家養成を思想(?)とする私塾が、大阪にはある。
 が、塾の講義内容が、
「ナゼおまいらは何も考えておらんのか」
 だったりする。何か感想や質問を求められても、「ない」という人がいる。
「ない」って何!? もう、頭が働いていない、思考停止人間の波が、思想あるはずの作家志望にまで押し寄せているのだ。むしろ、それがフツー。
 いや、集団思想に適応したフツーの人間なら、フツーの社会でフツーに生きていける方が幸せだと思う。が、それもわからないくらい思考停止した人間が大勢「作家になりたい」とフツーに言える、それが現代日本の社会なのだ。
 別にお世話になっている塾の悪口を言いたいわけじゃない。ただ私は、塾の集団思想も全て鵜呑みにはせず、自分で考えた上で、必要なことは十分お世話になりたいと思っているし、それは中山先生もきっとわかってくれるだろうと信じている。

 集団の皆様は憤慨なさるかもしれないが。
 日本人の戦略なき思考は、例えば今の芸能界にも、如実に現れていると思う。

 ジャニーズや、素人アイドルたち。
 彼や彼女たち、実際そんなにステキですか?
 “洗脳”者であるメディアが、あたかもそうであるように仕立てて見せているから、そう思わされているだけじゃないですか?
 これは、戦争時代に「戦争反対!」と叫ぶのと同じぐらい、反発があると思う。
 熱狂的な信奉者にほど、「そんなこと言う奴はブチ殺す!」と思われるだろう。
 でもよく見て。足が短い。顔もどこか崩れている。歌、下手じゃないですか。彼や彼女らがいかにも、「俺(私)ってステキでしょ」と作る笑顔も、白々しいと思いませんか。
 それでもなぜかステキだと思う、それはメディアによる洗脳で、自分で全て納得してそう思ったわけではないのでは? みんながそう言うから、何となく、自分もそう思っておこうかな、という平和的惰性では?

 そんな日本人のロリータ趣味のスキをついて侵略してきたのが、今の韓国アイドルたちだと思う。
 韓国は明らかに日本人をバカにしていると思う。騙す気で来ていると思う。
 足も、長い。顔は、整形で完璧に整えている。歌も、上手い。ついでにダンスも上手い。そして完成された、大人の魅力がある。
 日本は全く、いい市場にされている。日本人は子供扱いで、熱狂的に金を投じるバカだと思われているだろう。
 そうして経済的にも人材的にもどんどん成長して、日本を追い越す気でいることだろう。
 現に某フジテレビは半分韓国にのっとられた状態で、今やメディア全体も韓国びいきだという。その韓国では、嫌日教育が浸透していて、日本はコケにされている。
 そんな韓国にまで“洗脳”されてて、いいのか? 幼稚でバカなままで、本当にいいのか?

 福沢諭吉の『学問のすすめ』や、ドラッガーの『マネジメント』ではないけれど、
 今こそ日本人は、個人の思想をもって、真摯に生きるべきではないのか? がんばっても報われないと思うなら、やれる方法を自分で考えて、実行に移せばいいんじゃないか?
 平和な輪(集団思考)の時代は終わった。これからしばらくは、革命と新たな偉人指導者が出現する時代に入ってほしい。
 バカな指導者が集団を洗脳して日本を壊滅させるような、愚かな歴史を繰り返さないためにも、独立自尊の精神は、持ってしかるべきものだと思う。

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幸村燃え~

 ついに好きな人ができたかも。
 戦国武将の中でheart02(今さらですが)

 この本を読んでたら出てきたのです。
 

逆説の日本史〈12〉近世暁光編 (小学館文庫) 逆説の日本史〈12〉近世暁光編 (小学館文庫)

著者:井沢 元彦
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この作者の歴史シリーズ、最近好きなんだよね。 
 スルドい視線に論理的思考、そして熱い! 熱いんスよ、魂が! 燃える血潮がたぎってるんスよ! 命けずって書いてるんスよ! 
 何が面白いって、小説家らしいドラマチックな書き方がよい。(専門家の本とかだと、盛り上がりなくておもんないじゃん?)

 で、その中の95ページ(細かい)に出てきたのが、

 ■「信繁→幸村」改名に込められた固い決意

 フーン、また真田ワッショイかー。てゆーか幸村って、後世の人に作られた創作の名前でしょ?
 と思って、やや冷めた目線で読んでいたのだけど、

 幸村って名前、本当らしいですね。
 それも、自ら改名したって。

 何でも、「幸」という字は、真田家伝来の名前の字で、お父さんは昌幸、家をついだお兄ちゃんは信幸だったけど、天下分け目の関ヶ原で、東軍についたお兄ちゃんが家伝の「幸」をすてて信「之」に改名したから、
(自分こそは父の遺志と真田の魂を継いで、徳川を倒してやる!)
 とばかりに信繁から「幸」村に改名し、大阪の陣で西軍の将となって、獅子奮迅の戦いをした、という。

 マジですか。
 何て、ロマンを含んだ名前だったの。
 そんな覚悟と、熱い思いを込めて名のっていたなんて。

 いや、本当かどうかはもはや関係ない。(オイ)
 彼が村として存在した、それ自体が、熱いロマンをもつ魂があったという真実なのだもの

 今まではウザいと思っていた。正直、こいつ暑苦しいキャラだな~、と思っていた。
 でも、その思いや心情を知ると、見る目がイッキに変わってくる。対人間になら、誰にでもそうなるのかもしれないけど。

 やっぱ、カッコイイもんはカッコイイね。
 降参します。無条件降伏です。

 やっぱりこの夏、幸村が、熱いsun

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大阪城攻め

大阪城攻め
いってきた!!

我らが地元の、大阪城の内部へ。

日本文化の歴史にひたる…ハズが、
しゃべった相手はなぜか、観光客の外人のおにーさんたちばかりだった。
It's borderless communication(・∀・)

天守閣の頂上は、四方の欄間が展望台になっていて、中には売店や休憩所があった。
その様子はまるで……
通天閣の頂上にある「ビリケンさんの間」とのような、市民の憩いの場のような庶民的な雰囲気が溢れていた。

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歴女、実家の古文書を紐解く

 晴れて歴女となったこさっぺは、実家に眠っている古文書に、興味をもちはじめた。

 一般に発売されている歴史本を読むのも楽しいが、
 何百年も前に実際に書かれた、墨のにじむ書物を調べるほうが、より本当に、その時代を生きてきた人の息遣いや思いを、知ることができる。
 それが自分の祖先なら、より身近に感じられるというものだ。

   
 そんなわけで、家系図の巻物を、文字通り紐解き、昔の先祖たちの名前をたどってみた。
 おじいちゃんLove!の項でも書いたが、我が家は武家の家系で、先祖は天皇までつながっている。ちなみにこさっぺの苗字は、実は「小坂」である。
 戦国時代には、備前美作(岡山県)の大名、宇喜多直家の家臣だった。
 南北朝時代には、「長野」という苗字で、足利尊氏側についていた。
 それ以前は「橘」氏という公家で、系図をさかのぼると、清少納言の夫の弟(橘則隆)や、藤原不比等とデキて光明皇后を産んだ県犬養三千代の元夫(美努王)なんかがいて、
 最後、敏達天皇にたどりつく、らしい。

 と、見ていた家系図の巻物のほかに、同じ保存箱の中には、なにやら古文書をコピーしたらしい冊子や巻物が、一緒に入っていた。

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 『古戦場集』

   

 かなり物騒なタイトルである。

   

 中を見てみると、かなり古い文字に、“お家書き”という漢文体で、よ、読みにくい!

 が、同じく歴史好きなお母さんの力も借りて、2人で何とか読み解いていくと、どうやら戦国時代の書物であることがわかった。
 それも、我が家の先祖にして、英雄として語り継がれている、「小坂与三郎」の、血しぶくような戦場での武功の記録であった。
 書物の内容は、かなりドラマティックで、まるで大河ドラマのようであった。

 小坂「与三郎」というのは、代々家を継いだものが名乗る名前で、本名はその下に、小坂与三郎「家利」とか「家房」とかついている。なので、長男だろうが問答無用で「与三郎」である。
 というのも、初代小坂与三郎は18歳の時、敵の「原与三郎」という男を討ち取って、当時の主君・浦上宗景に、褒美と感謝状をもらったらしい。どうやらその時以降から、小坂「与三郎」の名前が世襲になったようだ。ヤマトヲグナが、クマソタケルを討ち取ってからヤマトタケルに改名したようなものか。

 戦国の世に生きた武将、小坂与三郎家房shineさんは、忠義にあつく、かなり武勇にすぐれた武将だったらしい。
 どちらかというと武骨な武断派で、調略や損得勘定は不得手だったそうな……。
 城代家老として、2~300人の部下をしたがえており、
 ある時は時の声をあげ、
 ある時は首級をあげ、
 敵を挟み撃ちにして乱闘し、
 敵将に変装して敵陣突破し、
 敵将を馬上から射落とし、
 敵襲に急いで、下半身下着のまま城から飛び出し、
 押し寄せる敵兵をことごとく追い散らし、
 たまには毛利勢の敵を味方にひきこみ、
 そいつが離反して、元領地の石高を着服していたら夜討ちし、
 敵を討ち捕り、その首を捕り、首を捕り、首を捕るなど……
 その活躍は「所々合戦ニモ武功誉アリ褒美感状賜ルナリ」と、主君に褒められて、数多くの感謝状をもらっている。
 が、その感謝状が現在、1通も残っていないのは、
「わしこんな偉いもんもらってんで」
 と、縁者に自慢がてら、全部あげてしまうかららしい。。

 しかし、この戦国を生き抜いた武将、与三郎家房さん以前の、室町時代の祖先たちは、
 (知家さん)上洛して官位をもらうも、京都四条の戦場で討ち死に
 (家成さん)和泉で戦い、痛手にて病死
 (吉昭さん)応仁の乱で、三好一族とともに戦死
 (家章さん)京都三条の合戦で討ち死に
        ・
        ・
 など、    ・
 みんな「戦場において討ち死に」している。
 まさに、「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」である。
 私の体を形作っている先祖の血肉は、なんと血塗られた、戦いの果てに勝ち取ってきた命なのだろう。

 また古文書には、あの、戦国下克上大名として悪名高い、我が家の主君・宇喜多直家さんも、ドラマティックな英雄として登場する。
 当時は、浮田直家といったそうだ。(たぶん、苗字が「浮いてる田んぼ」じゃカッコ悪いから、「宇喜多」という漢字に変えたのだろう)

 時は戦国のはじめ、永禄元年。
 赤松宗景から、氏を改め浦上宗景と号した大名の家老には、嶋村観阿弥、浮田左京、花房越後守、浮田菅兵衛、小坂弥三郎(初代与三郎の父)などなどがいた。
 が、同じ家老仲間の嶋村観阿弥と浮田左京は、仲が悪く、ケンカをして嶋村が浮田を殺してしまった!
 その時、浮田の子供は1歳で、母親の懐に入れられて、なんとか生きて逃げのびる。
 落ちのびた先では、母親が奉公に出て、子供も18歳まで成長した。母と同じ伊予守のところへ仕えることになり、名前を「浮田直家」というようになった。
 この直家、武力もなかなかのもので、数々の合戦で活躍。ついには、父のかたきである、嶋村観阿弥を討ち取った!
 よく生きのびて、ここまでこれたものだ。(ちなみに公式文書では、祖父のかたきをとった、となっているが、うちの古文書では父となっている。多分、心では父親のように思っていたのかも)
 その後、元の主君・浦上宗景に仕えることになった直家は、さらなる下克上をめざした。
 浦上家中を2分して自分の勢力をつくり、主君だった浦上を倒してしまった。
 この時、最後まで浦上方に味方していた小坂与三郎は、負けたので謹慎していたが、武功を見込まれて浮田の家臣に引き抜かれたという、プチエピソードもある。
 そんな内乱の後、浦上宗景の子供が、幼くして死んでしまう。それによって、浮田直家が跡を継ぐ形になったが、これは一説には、謀反とも言う。(←と、ちゃんと古文書に書いている)
 そうして、戦場で武勇伝、武勇伝を重ね、同卿の三村氏を下し、安芸の毛利氏の兵を寝返らせるのに小坂与三郎を使ったり、息子の秀家の代になって朝鮮出兵したり(もちろん、小坂与三郎武功あり)、関が原において消滅するまでが、切々と描かれているのだ。
 

 また、古文書に登場する武将には、愉快な名前(失礼)も多く、
 敵の、安藤宇吉(ウキチ)さん、江見牛之助(うしのすけ)さん、taurus
 身内の、又太郎さん(マタ…)、久左衛門(くさえもん)さん、
 直接の主君である、浮田菅兵衛さん(黒田官兵衛とは別人だけど、もろかぶり)
 中でも同じ家老仲間の、花房助兵衛さんは、最高のお名前である! スケベーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 そして、この冊子の最後には、関が原の合戦後、宇喜多秀家に代わって岡山入りした、徳川家臣・森忠政によって、
「先祖の系図や、感謝状折り紙(折り紙つきとはまさにこのこと)、この『古戦場集』をあげるから、子孫代々受け継ぐようにね」
 と、小坂家子孫へのお手紙を『古戦場集』の巻末につけて、与三郎に渡しているのだ。
 家宝にせよ、大変なプレゼントだぞ、と。
 しかし、だ。
 この家宝のかわりに、武士の身分は召し上げられ、美作の地は、森忠政が他の土地から連れてきた、1000人もの家臣で支配されてしまったのだ。
 元・宇喜多の家臣たちは、元の身分に応じてそこそこの家禄や下人はつけたものの、大庄屋や中庄屋として、身分は全員「農民」にされてしまった。
 土佐藩などでは、徳川家臣・山内一豊が入ってきて、元長曾我部の家臣たちは「卿士」として武士の身分でいられたが、そのあたりの支配の仕方は、地方によってまちまちだったようだ。

 そうやって、この家系図や古文書は、“武士の証明”として、我が家の本籍の地に保存されていたのだった。
 身分とひきかえとは、ずいぶん高い家宝だが、まあ幕末には武士もいなくなったし、早めに医術修行や兼業農家で生きる力をつけられたし、盛者必衰の世の中、小坂与三郎という輝かしい武者が先祖にいたというだけでも、良かったんじゃないかと思った次第ナリ。

   

 こうして一応は読み終えた、我が家の古文書だったが、やっぱり読解するのは大変で、間違っているところも多かった。
「立野(現在の姫路市龍野)に於いて死す」
 というところを間違って、
「野たれ死ぬ」
 と訳していたり(失礼)、わからない旧字や地名もたくさんあった。

 やはりこれは、詳しい人に真相をきくのが一番だ。
 公的記録にはない、その地独自の言い伝えや、定説があるかもしれない。
 家族がそろって、「詳しい人」だと認めている、おじいちゃんの弟さん。
 会ったことはないが、今の私の趣味なら、ばっちり通じ合える気がする。

 そんなわけで、敏達天皇より数えて45代目かも(?)&小坂氏18代目たる、今侍魂に満ちあふれる私は、岡山まで旅立つことを、心に決めたのだ。

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