旅行・地域

突然の 風にふかれて 川端康成

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やっと動けるようになったので、川端康成文学館へ行ってみた。

JR茨木駅に着くと、すぐ建物があるのかと思ったら、結構歩く;

文学館までは、川端通りという道があるのだけど、これがまた気持ちいい。

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木々に心が浄化される。
やっぱ自然って偉大だ。

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文学館はひっそりとした佇まい。
入ってみると……

うん……心が、澄みわたるね。

   

久々に『伊豆の踊子』読んだんだけど、純文ってやっぱ凄いね!
昔はタルい青春語りぐらいにしか思えなかったのが、歳をへて経験積むと変わるもんで、
も、文章の表現力が、ぅWにゥg∀pおo☆Rpぷ∞ぁ!!
文彩の美しさはまさに芸術品っ……!
スンバラシイ〜♪ ね(*^∀^*)

図書館に川端本借りにいこう。
これからしばらくは、時代小説と純文にハマるかな。

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USJ攻め

Usj_2   
 もはや城攻めでもなんでもない。

 USJ行ってきたんだ~happy01note
 10周年アニバーサリーだよheart04

 元会社のかわいいOLガールズたちとともに(こさっぺは左から2番目)

 いや、何が快挙って、

 ここまで遠出して人ごみの中遊び回っても、まったく疲れなかった!!

 やっと、何でもできるほどの体力が、戻ってきたのさ!

 思えば、会社辞めて療養しはじめてから約半年、長いみちのりであった。。weep

 おっしゃああ!rock
 こっからはやりたいこと、どんどんやったるもんね。

 まあ揺り戻しもあるらしいので焦らず、じっくりまったり療養して、着々と栄養、素養、美容(?)を育んでいくつもりでごわすhorseshine

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いざ作州香々美の地へ~祖先地の歴史にふれる旅

 こさっぺは念願かなって、岡山県は鏡野町へ、先祖の歴史を調べに行くことがきまった。
『おじいちゃんLove!』 『歴女、実家の古文書を紐解く』 参照 )

 最初は去年の夏みたく、ローカル電車での一人旅で行こうと思っていたのだが、
 お母さんにも、おばあちゃんにも、ボケたはずのおじいちゃんにも、
「そりゃ遠いで~」
「半日かかるよ」
「お父さんに車で連れてってもらった方がえいが」(岡山弁)
 と言われたので、去年の夏の、
(人の助けがなければ、旅はできない)
 という教訓を思い出し、おばあちゃんの入れ知恵(「墓参りに行きたい~とか上手いこと言ったらえいが」)どおり、そうすることにした。

 お父さんにも、おじいちゃんの弟さん(岡山在住)にも頼んでみると、驚くほどトントン拍子に軽快な了承を得て、すぐ次の休日に行けることになった。

   
 と、行く前に、古文書の入っていた箱の中を、もう一度調べてみると……

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 なんと! 古文書と、先祖の歴史を調べたらしきノートを発見!

 あとでお父さんにきくと、これはおじいちゃんが書いたものらしい。

 ノートの表紙には、

『 小坂家の歴史 感状集その他 ① 』

 と書かれた紙が貼ってある。

    

 中を開いてみると……  

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 おお!
 うちに伝わる古文書の内容と、その時代の一般的な歴史が、あわせてビッシリと書いてある。

 ノートの縦軸には、その時代の南北朝の将軍まで、くわしく書きこんである。

 あたしより先に、あたしが調べたいことを、おじいちゃんが全部調べていた!(*゚∀゚*)ウレシイ.。.:**:.。..。

 なんだ、もっと早くこれを見つけていたら、あんなめんどくさい古文書読解をしなくてすんだのに。。

 と思ったら、ノートの最後の方に、  

110705_192517_2   

 ん?

 株の値動きか? と思ったら、

   

 どうやら、教え子の、就職先を一覧表にしているらしい。
(おじいちゃんは元高校教師)

   

 OJI~CHA~~~N!shock
                  なにやってんの!

     

   
 さらに後ろをめくってみると、
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 ほかの先生と一緒に書いたらしい、
 情報処理教育に関する論文が、つらつらと書かれている。

   

   

 チョットチョット、これ 『 小坂家の歴史 第1巻 』 のノートじゃなかったの?

   

 最後飽きたんかな?(笑)

   

 いやいや、このノートの第2巻は、あたしが引き継いでみせる……ハズ。

   

 そんなわけで、このノートと古文書コピーを持って、いざおじいちゃんの故郷へ出発!
 兵庫県は龍野のほうから高速に乗って、途中播州塩味まんじゅうのおみやげを買って、岡山の山奥へ入る。

 小さい頃に一度墓参りに来たきりで、ほとんど覚えていないが、田畑の広がる山里は、思い描いたとおりのステキな田舎だった。
 ザ・日本の田舎らしく、由緒ある小さな遺跡や、昔からの言い伝えが眠っていそうだ。

 大きな家が連なっている前へ車を降りると、玄関先に、人のよさそうなおじいさんがポンと立っていた。
 ひと目みてわかった。この人が、おじいちゃんの弟さんだ。
「こんにちは~~heart04ありがとうございます~」
 あたたかい歓迎に、感激して近づいてみると、なんと、お顔がおじいちゃんにそっくり!(弟だから当たり前だけど)
 ほわほわ優しい笑顔の奥さんにも、ちゃんとお土産のまんじゅうを渡して、だだっ広いお宅の中に、お邪魔する。

 田舎の旧家らしい和室を抜けて、仏間にとおしてもらう。
 落ち着きのある室内には、私に見せるために用意したらしい資料や冊子が、そこここに置かれていた。
 目の前に座った弟さんに、私は興奮した。
 大好きなおじいちゃんにそっくりだ。元気になったおじいちゃんに、ふれあえているような気がして、とてもうれしかった。

 はじめて会った気がしない親近感もあって、私と弟さんはさっそく意気投合し、古文書の読解をはじめた。
 弟さんの奥さんと、うちのお父さんは、ちょっと所在なげに世間話をしつつ、遠巻きに待っていてくれた。
「なんでまたこんなことに興味を?」
 ときかれると、
「歴女ですから、最近流行ってるんです」
 というと、一言で説明できるのでラクである。(変人ではないという、ちょっとした免罪符になる。ああ、歴女になってよかった!)
 私ももっと2人をかまいたいのだけど、なにせ帰るまでに時間がないので、弟さんに、どんどん、読み方や意味のわからないところをきいていった。
「で、この家系図はどこまでホンマなんですか?」
 というようなスルドい質問にも、
「これはねぇ、結構信憑性のある資料だよ」
 と、弟さんは、おおらかに逐一答えてくれた。

「なんでこ(んな山奥)の土地に来たんですかねぇ?」
 ときくと、公式資料にはない地域伝承の話(こういうのを聞きたかったのよ!)を教えてくれた。
 何でも、先祖の中でもやんちゃな若侍だった「孫三郎」さんが、京都で刃傷沙汰をおこしたらしい。
 戦国時代の終わり頃、16歳の孫三郎くんは、京都の曲直瀬道三(まなせどうさん)という医者の塾で、お勉強をしていた。
(幕末でいう適塾みたいなとこ。ちなみに適塾は、今も大阪の北浜金融街の近くにあって、夏になると建物から霧を噴射し、道行く会社員たちに涼を発している)
 が、そこで同じ塾生とケンカになり、血気にはやる孫三郎くんは、相手をブッタ斬ってしまった。
 武士のケンカは両成敗、相手を殺してしまったからには、孫三郎くんも切腹しなければならない。
 が、まだ16歳だからかわいそう、という話になり、東京の方で謹慎(つまり引き篭もり暮らす)になる。
 そこへ、同じ宇喜多秀家の家臣で、同じ塾出身の友達だった小瀬秀正くん(のちの『太閤記』作者)が、孫三郎を引きぬいて、自分の領地の近くの山奥に、ひっそり連れ帰ってくれたという。
 だからこんな山奥で、薬屋をひらいて代々住みついたのだそうだ。

 この話↑のミソは、岡山県鏡町にある日上山の城主だった、小瀬秀正さんが、『太閤記』を書いた小瀬甫庵と同一人物だよ、ということだ。
 それを証明するために、おじいちゃんの弟さんはマンガまで描いたという。(マンガ!?)
 だが、地元の名士たちと調べ上げたこの事実も、お役所に持っていくと、
「違います」
 とアッサリ却下されてしまったそうな。
 でも、地元の伝承や、家伝の古文書の中には、『資料至上主義』の歴史学者たちが知り得ない、真実もふくまれているのではないか。と、思ったりする。
 こういう情報は、実は結構貴重なんじゃないだろうか。

   
 さて、おじいちゃんの弟さんは、お話だけではなくて、戦国時代から本家に伝わる、家計図と古文書の原本をもってきてくれた。
 この時代の文書は、細長い木箱に入れられている。

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 中には、しおしおになった、やわくて薄い紙の冊子が、2ツ折りで入れられていた。

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 それら貴重な資料を、手にとって見てみるが。。  

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 よ、読めないッ!sweat01

 達筆すぎて、ミミズののたくったような草書体だった。。
 だが、弟さんは何でもないことのように、それをすべて読み上げていった……!

 なんと、弟さんは現在、古文書の読み方を教える先生をしているらしい。
 思わず尊敬のまなざしを向けた……。
 たぶん、そうとう地元の歴史が好きで、趣味が高じたのだろう。なんと元気な82歳だ。最近歴女になった私より、大、大、大先輩の、歴男である。
 それだけでなく、マンガも描いたというのだから驚きである。
「マンガ!?shine私もマンガ描くんですっ!」
 と伝えると、弟さんは重い腰をわざわざ上げて、奥の部屋から力作をもってきてくれた。
 それは少し古い紙で、ホッチキスで冊子状にとじた、表紙つきの白黒マンガだった。   

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                        ば、ばーん

 中をひらいてみると、      
         

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 ……すさまじい、これは、根性がなければ描けない。
 絵や話は、上手くは…決して上手くはないが、熱意と頑張りと、歴史を好きな気持ちは、ものすごく伝わってくる。
 弟さんはテレ笑いしながら、
「じゃあこの続きは、引き継いで描いとくれ」
 と言って、そのマンガと、描くために見た資料をくれた。
 ほかにも、古文書を書き下し文にした冊子や、地方の歴史を調べた文集、他家の古文書の写しや、草書体の横に現代文字を書き込んだ冊子までくれた。
 最後の冊子は、奥さんいわく、
「昨日の夜おそ~うまで、何か一所懸命書きこんどるな~と、思いよったんよ」
 とのことで、今日来る私のために、わかりやすい資料を作ってくれていたらしい。
 なんてありがたい。
 できればもう、弟さんのすべての知識を、引き継ぎたいくらいの気持ちだった。
 私は本家の人間ではない(本家には、弟さんの息子さんがちゃんといる)、分家のおなごなので、残念ながら土地や財産は引き継げないが、この記憶や魂は、受け就いていきたいと思った。(ちなみに息子さんは、歴史にまったく興味がないらしい。。残念bearing
    P1000085
           最後に、一緒に写真までとる(旧家屋の井戸前にて)
 
 まさかこんなフィーリングの合う人が、血縁者にいたとは!
 今までまったく会えずにいたのが、不思議なくらいだ。
 弟さんは、
「仏さんのお導きじゃー」
 と、鷹揚に言っていた。
 うんうん、きっと世の中、会うべき時に、会うべき人に会えるようになってるんだ。きっとそのはず……と、思いこむことにした。

 やっぱり、歴史はおもしろい!
 調べるほどに奥深い。
 親の親のそのまた親たちが、確かにその時代を生き抜いて、つないでくれた血の重さを感じる。まさしく競争馬と同じ、血のロマンである。
 昔の人たちが、時に間違い、時に栄華をきわめ、時に恥辱に耐え、時に戦場に倒れ、それでも愛情を育んで、懸命な生を積み重ねてきてくれたから、今があるのだ。
 いただいた命を大切に、私も自分の人生を、せいいっぱい生き抜こうと思った。
 とりあえず今は、歴女になってnotes

                                 born this way ~ (*^∀^*)

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関西おっさんず

 実家に帰ってたまたま、地元のケーブルテレビ見てたら、めっちゃおもろい歌見つけた!note

 関西の各県の鳥が、なぜかおっさんになって出てくる。

 近畿ケーブルテレビ連盟が作ったらしい。「三関王」とゆう、地方番組のエンディングテーマで流れてた。

   

必死のパッチのうた

http://www.youtube.com/watch?v=mvHW4K2XI6I

   

 そういえばOL時代、大阪にこんなおっさんらおったわ~chickオッサンズー♪

 個人的には、明石焼が出てきたのが、播州出身者としてはよし。

 あと鳥が、パソコンソフトの荒っぽい線で描いてあるところもよかったw

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野球を応援する

 旅に出ました。
 応援団のチアガールとして。
 こさっぺのいる会社は、全国レベルの強い野球部があって、そのための応援団と、チア隊(3人だけだけど)がいるのです。
 こさっぺは入社2年目から、念願かなってチアガールになりました。
 このたび、見事全国大会出場が決定し、応援団みんなで、東京まで夜行バスで応援に行ったというわけ。

 でも出発前は心が晴れなかった。。
 チアの先輩たちとうまくやれるのか……という心配は杞憂に終わったけど、問題は野球部の男の子たち(監督含む)とのことだった。
 以前からの悩み。
 なんであんたら、そんなにあからさまに無視するの!? という。。
 あたしに好かれたら困るとでも思っているのか、過剰な意識で壁を作られている気がする。
 なぜか、野球部員、キャッチャーくんや監督さんにしても、近しい場所にいて、最初は応援されてうれしそうに話してるのに、色々と試合撮影行ったりとか研究用のビデオ渡したりとかしてるのに、途中から突然と、話さなくなるのだ。こっちはにこやかに接したいのに、目も合わそうとしない。明らかに、無視られている……。
 こっちは応援したいのに、応援することができない。
 拒絶されているのだ、というのは、何となくわかる。他の人とは普通に話すのに、普通ならあたしとも話すだろう、という場面で、明らかにとばされるからだ。
 けど時折、(ほんとに時折)あたしが非常に困っている時だけ、さりげなくこっそり助けてくれたりする。が、ありがとうとは言わせない、感じだ。
 こさっぺはしまいにグレた。何だよ何だよ、あたしの応援は、いらないどころか邪魔ってわけですか。もうわかったよ。でもその無視は、普通に失礼だろう。そんなんで負けても、もうお前らなんか知らん! と。
 そんなわけで、応援に行くのが憂鬱だったのだ。自分の存在が、完全否定されているなかで、どうやって応援の声を届けられるだろう。ハァ~。

 応援団の中には、元野球部の、同期の男の子が2人もいた。
 ケガや何やらで、戦力外通告(泣)になった子たちだが、イケメンで、同期の女子たちから超モテモテだった2人だ。もちろん、面識はある。一緒に応援に行って、話したこともある。なのに・・・。
 完全無視ですか。ヘコむ。
 チア服着てポンポン持ってる身にもなってみろよ。
 他のおじさんのOBの人とは普通に話せるのに、同い年の男の子2人とだけ、空気が不自然に滞っていて、強い違和感を感じるのだ。
 この違和感は何だ。どうにかするべきじゃないのか? でも目が合ってもそらされてたんじゃ、どうにもできない。
 応援団のチアガールという、一見華々しい立場にいても、なかなかに辛い状況が続いていた。

 が、試合は始まった。
 野球部の子たちはがんばっていた。それはそうだ、人生がかかってるんだから。   
P1010460  仕事や、立場や、力関係や、夢。
 あたしはそんな子たちを応援したいのではなかったか。
 気がつくと、あたしは踊りながら、大声で叫んでいた。がんばってー! と、出場ナイン全員の名前を呼んだ。
 もう何か、周りのことなんかどうでもよかった。
 あたしは応援したいし、若い女子がひらひら踊って黄色い声援出してるだけでも力になるだろうし、力いっぱい、あたしは応援してもいいんだと思えた。
 もう眩しいくらいにキラキラ踊ってやって、勝利の神様を呼ぶよりましになってやろうと、青空にポンポンをかかげた。
 本気の応援が、ちょっとは伝わったかもしれない。
 野球部はおどろくほど調子よく、いい雰囲気で全員が打ちまくって、見事な大勝利をおさめた。部員たちもスタンドもわき返った。これが1つになるってやつか、と体感した。

 その試合の後、選手の中でも一番活躍した同期の男の子が、取材を受けていた。
 のちにスポニチに載っていた、その記事↓

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/09/19/25.html

 この子には前から活躍ビデオも送ってるし、唯一?普通にしゃべれるので、うれしくて近づいた。
「Tダくんすごいや~ん♪」
「まぐれやって」
 まぐれであんだけ打てるものか。あたしはTダくんの腕をてしっと押す。それが、すっごい筋肉質で硬く、太く重みがあった。今まで会ったどんな人よりも、獅子の中の王様みたいな、すさまじい強さを秘めた腕だった。
「インタビューされてたやん!」
「社会人なってからは初めてや」
 へへ、と素朴なカワイイ笑顔で、テレテレと笑った。
「この調子でガンバッてな! 声出して応援してるから☆ も~時代を、掴んでいって」
 本当に純粋に、うれしそうな笑顔で、Tダくんはチームのみんなの元へ戻って行った。
 すごく純朴ないい子だけど、あたしはあの子の鋭さも知っている。
 バッターボックスに立って、バットをかまえ、投手の投げる球が、手元にきたのを見る時。怖いぐらい真剣な、ガッ!としたまなざしで、手元を通る一瞬のボールを、集中力を高めて、くいいるように見るのだ。宿敵か、獲物を見つめる静かな獣のように。一瞬の間に、何通りもの見方や計算をして、球の感覚を得ているのだろう。
 そして球をつかまえたが最後、大きな体から繰り出されるすさまじい打力で、軟式のボールを場外までかっとばすのだ。
 元々プロに行けるほどの打撃力を持っていて、たくさんいる同期野球部員の中でも、とびぬけて注目された存在だった。そして入社1年目から、4番だった。
 あたしは、この子が活躍して、全国優勝することを切に願う。

 その夜。勝利によって泊まれたホテルで、明日の目覚ましアラーム音をケータイで設定しようとしたら、ある音楽が流れた。
 「夏空」Galileo Galilei。
 野球アニメ『おおきく振りかぶって』の主題歌だ。
 いつか、(やっぱり野球部を応援しよう!)と思い直した時に、ダウンロードした着うたが、アラーム設定に入っていた。
 歌詞つきだったので、再生して聴いてみた。
 すると、やっぱり……というべきか、今の状況に、おどろくほどぴったりの曲だった。
 歌詞の意味が、今の状況と一緒になって、すうっと胸に入ってくる。
 その中に、“約束”という一節があった。
 ああ、そうだった……と、3年も前のことを思い出した。新入社員で、研修中の時。
 今回一緒の応援団で来ていた、元野球部の同期の男の子と隣の席になって、始めて話した時だ。
 その男の子は、鳴り物入りでピッチャーとして会社に入ってきて、希望に満ちて輝いていた。のちに怪我で、不本意な引退をすることになるのだけれど。
 あたしはその時、その男の子といっぱい話をして、背番号まで聞いて、最後に言ったのだ。
「あたしそういうの応援するの好きなんです。またお会いすると思いますけど、その時はよろしく」
 男の子はにこやかに応じて、その後研修中はよくしゃべって、仲良くした……と思う。
 あれは、いつか応援にいくからという約束だったのだ。ずっと応援してるからね、という、あったかい、やさしい、最初の純粋な気持ちを思い出して、あたしはちょっと茫然とした。
 そうだ。あれが最初の、すべての基だったんだ。
 あたしはがんばっている人を応援するのが、本質的に好きなのだ。
 ちょうど、競馬でがんばっている馬を、ずっと応援しつづけているように。その強さでは絶対負けない自信があった。
 だから、志願してチアガールになったのだ。
 男の子たちに無視されようが、そんなことは後から付随して起こった、さまざまな小さいことのように思えた。私は応援するのだ。彼らを。

♪野球アニメ『おおきく振りかぶって』とは
「夏空」Galileo Galilei

 次の日、全国大会トーナメント2回戦。相手は強豪だった。
 しかし1回の表から、昨日記者に取材を受けていた、同期のTダくんが、パッカーーン と打った。
 あたしは飛び上がって、キャーキャーワーワー叫んだ。
 すぐ下のグランドでは、ピッチャーとキャッチャーの男の子が黙々とキャッチボールを繰り返している。点が入ると、選手たちは猿の群れのように沸き立ち、円陣になって喜び、雄叫びをあげまくった。
 その試合も、初回の2点を守りきって勝利した。また午後からの試合に進める。

 午後の3回戦までには、まだ時間があった。
 昨日思いなおしたものの、やっぱり応援に来た同期の男の子たちには完全無視され、ヘコんでいると、この旅で仲良くしてくれているマナーの先生兼秘書の女性が、やさしい京都弁でこう言った。
「男の子たちはね、自分から声をかけて無視されるのが、恥ずかしいんよ」
 ポジティブに、自分から声をかけていかんと! と背中を押してくれる。
 そうですよね! と言いつつ、そうなのかぁ? と思いつつ。。その昼は、野球部員の周りも自由に動き回り、野球部の子に話しかけたりもした。
 キャッチャーの男の子が、近寄ってくるのがわかって、応援が伝わっているのを実感できた。

 3回戦の相手が決まる試合は、どちらも点がよく入って、長引いているようだった。
 応援団の人たちは、グランドの端の木陰で、試合を見守っていた。
 2つのチームはどちらも強そうだったが、何となく、あたしは次の試合は、「香川とやりたい」と強く思っていた。
 あたしは野球のルールは相変わらずわかりきっていないけれど、次の相手――香川が、強いだろうことはわかった。

 3回戦は、どこまでも0点が続いた。
 こちらも点は入らないが、あちらの点も、こちらの剛速球ピッチャーがおさえて、何とか入っていない。そんな状況が9回まで続いた。
 日は傾いて、チアが踊る場所も、伸びた木陰に完全に隠れた。
 点が、入らない。向こうの方が押しているように感じる。胸が重く、胃の痛い状況がずっと続いた。
 本当は、応援に来る前、いにくい状況だから、2日目くらいで早く帰りたいと思っていた。だけどこの時、今日は絶対に勝ってほしい。ホテルに泊まって、明日の試合に進みたいと本気で願った。
 そして試合は延長戦にもつれこむ。午後1時半から始まった試合は、5時になっても終わらない。そして、試合は12回裏、相手の攻撃を迎えた。
 この回が終わったら、さらなる延長戦は、ナイター試合のできる別の球場に移ってやるという。なんとか、もってほしい。ナイターまでいけたら、勝てるかもしれない。
そうだ、この12回を守りきれたら、今まで話せなかった、あの同期の男の子たちと話そう。きっと負けなければ、そうできるはずだ。

 そうして、何とか相手の攻撃をしのぎきり、本当にバスで球場を移動することになった。
 もうのどはカラカラで、踊りに体は疲れているのに、ヘンな緊張感と高揚で、胸がいっぱいだった。
 球場のスタンドから出ていくとき、ぞろぞろ続く人の列の中で、あの約束をした男の子が隣になった。
 あたしは妙に自然に振り返って、その子にやわらかく笑いかけた。
「おつかれさま」
 伝えられた。すると、何も期待してなかったところへ、やさしい声が返ってきた。
「おつかれ」
 その声が思いもかけず、いたわりを含んだやさしい声だったので、あたしは少し驚いた。
 先を歩きながら、のびをして会話を続ける。
「延長になってよかったぁ」
  まだ応援を続けられる。それがうれしかった。
 男の子たちも、ただこれまでしゃべらなかっただけで、普通のいい子なんだと思った。

 ナイターが行われた。
 スタンドの応援団も、グランドの野球部員たちも、緊張感に高ぶっていた。
 13回の表から、うちの攻撃には勢いがあった。ここで点をとらねばという気迫があった。
 でもとれなかった。0点が、また続く。
 そして、最初から攻撃ではこちらを押していた香川が、ついに2本、ヒットを打った。3つの塁が、満塁で埋まる。
 月のきれいな夜に、グランドの夜行灯がまぶしかった。
 重く張り詰めた空気。マウンドのピッチャーは、2回戦まで投げて足の爪をめくらせていた、最年長のエースに変わっていた。これまでの試合はこびを見ていられず、エースとしての誇りもあったのだろう。でも、
 甘い球を投げた瞬間、相手バッターが鋭い打球を放った。
 カアン! という打撃音とともに、塁の3人が回る。大歓声。あたしの悲鳴。相手チームの選手が全員飛び出してきて、跳ね回り、抱き合って雄叫びをあげた。
 ウウウウゥ~と、容赦もなくうなり出すサイレンの下で、重い足取りの選手たちが、うつむいてゆっくりとスタンド下に帰ってきた。言葉もなく、泣いている子もいた。
 あたしたちは、いつまでも拍手し続けた。
 やがて、スタンドから人が去り始める。見ると、チアの先輩が座ったまま、泣いていた。
「だって、がんばったのに~…」
 と言いながら、タオルで顔を押さえている。
 その時、すごく切なく哀しい気持ちが、あたしの胸にどおんと重たく入ってきた。
 すごく胸が痛い。苦しくて、割れるようだった。
 どうにもならない気持ちが、全身を渦巻いている。
 そのまま、チア3人でぽつぽつと歩いて、体は重いままで、足だけが動いて球場を出た。
 その時、監督さんと出会った。
 ありがとうございました、とみんなに、こちらにも向いて言う監督さんに、あたしは心から飛び出すまま声をかけていた。
「お疲れさまでした!」
 いたたまれなかった。監督さんの気持ちを思うと、一連の苦労を知っている(最近まで同じ部署だったのだ)だけに、何とも言えない気持ちが溢れた。本当に、こんなに胸が苦しいことはここ数年なかった。

 その後も、帰りのバスの中でひどく沈んでしまって、胸の重い痛みがいつまでもとれなかった。
 けれど、応援団できていた野球部OBたちは、元気に笑っていたので、少し救われた。
 帰りしに寄ったお風呂やさんでは、夕食も食べられる部屋があり、そこで野球部OBさんたちに混ぜてもらって話していると、気が安らんだ。
 ごはんを食べると、うっ、と胸の痛みがぶり返してきて、一瞬ぱったり横になってしまった。全て終わって、力を使い尽くしたのかもしれない。体も筋肉痛で、節々が痛かった。

 あとは寝れない夜行バスに乗って、時々サービスエリアで降りながら、帰るのみだった。次の日が休みなので、まだ体が休める余裕がある。
 ふらふらになりながら帰ったけど、それでも、行ってよかったと思えた。
 多分これからは、野球部に対する接し方がまた変わるだろう。今回、本気で応援できたから。
 ほんとに、本気で応援していこう。
 それがあたしの、したいことだから、そうしていこうと思った。

   

 追記(9/22)

 あたしたちが延長の末惜敗した、香川は、決勝戦まで残り、なんと優勝してしまった。
 → 結果 http://www.jsbb.or.jp/game2010/tenno-shihai/images/img_tournament.pdf
 そのニュースをネットで知った時、あたしは野球部員のいる下の階のA業部に、一目散に駆け下りていった。
 営業場の中を見ても、野球部の子2人(ピッチャーと、前まで無視られ気まずかったキャッチャー)は見当たらない。あたしは、仕事中の、応援手伝いに来ていた1年目の男の子に、ムリヤリ話しかけた。
「知ってる!? うちらが負けたあの香川が、ついさっき優勝した!」
 1年目の男の子は最初要領を得ないようだったけど、その隣で、それまで1年目の子に仕事を教えていた同期の男子が、要領を得たとばかりに、
「じゃあ野球部のメンツも保たれるなぁ~」
 と笑う。
 そこへ、後輩のピッチャー君(今回は投げてない)がやってきた。あたしは手で招いて呼びとめる。
「M脇くん! 香川優勝した!」
「……まじっすか」
 野球部のメンツも……と、同じようなことを言う。そう、うちの会社ではそのへんが大きな問題なのだ。
 興奮して言いに来たあたしは、意気揚々と、2階の仕事場へ帰って行った。

 そういえば、キャッチャー君の姿は見ることがなく、応援の旅の時から結局一言も話していない。
 どうしているかと思って、後ほど様子を見に、階段から下を見下ろすと……
 こっちに気付いて、ばっちり見つめ返された。
 でもそれは嫌な目線ではなく、むしろ親しみの溢れたやわらかいものだった。
 応援した気持ちが、伝わっているのがわかった。
 伝わったんだ。よかった。よかった。よかった。応援してよかった。
 あたしはちょっと泣けてきて、ゆっくり階段を上に戻ったのだった。

 うちのチームが、十分幸せになれますように。
 
 

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旅立ちの日

 こさっぺは、旅に出ようと思った。
 日常が何だかもうイヤになっていた。
 会社との往復の単調な毎日、ルーチンワークの変わり映えしない下働き、そしてネチネチとした嫌がらせや険だった態度、無視や失礼な扱い。

 初めての一人旅である。海の向こうのどこかへ、突然一人で海外は無理だとしても、国内の、海を越えた場所へ行きたいと思った。
 行き先つ、北海道は洞爺湖、そして周辺観光地や馬産地に決めた。
 馬は、昔から大好きで、いつか北海道に旅行して牧場を巡るのが夢だったからだ。
 洞爺湖や羊蹄山は、パワースポットとして今有名で、私はそういうところに行くとすごく自然のパワーを感じて癒されるので、行きたいと思った。
 洞爺湖は、今までの自分を捨て去って、生まれ変わるエネルギーがあるという。
 羊蹄山は、女性らしい愛情のパワーをたたえた場所だという。
 愛情……。とにかく、今までの嫌なことを捨て去って、新しく、強く生まれ変わろうと思ったのだ。

 そんなわけで、一人で久々の飛行機に乗り(4歳の時アメリカへ行った以来だ)、新千歳空港に降り立った。
 時間がないのでせっせとバスに乗って、一度行ってみたかった「ノーザンホースパーク」へ行く。午前中なら現役馬の調教が見れるかもしれない!
 が、時すでに11時……。のぞいた調教コースには、遠くをポクポクと平和に歩く3頭の馬しかいない。
「調教は朝9時くらいじゃないと見られないよー」
 と、厩舎の人に言われた。
 が、うれしい誤算もあった。厩舎にひょっこり足を踏み込むと、なんとあの
ダイナガリバー御大が、フッツーに馬房の中に立っていたのだ。
 エエッ!? と馬房のネームプレートを見直しても、「ダイナガリバー」と書いてある。普通の人は知らないだろうが、有名な種牡馬さんなんだぞ。
 そしてなんとその厩舎には、インティライミチェストウイングもいたのだ!! 何を隠そう私の大好きなshineの子供だ。重賞ウイナーの男の子たちである。ものすごくフツーに足元の草を食べてたけど。

Photo_2                    イ、インティ……?(笑)

 その時の私はとてもうれしかったのだけど、夢のようであまり浸りきれず、同時に心の底でとても焦ってもいた。
 なぜならその後おみやを買って、北海道出身の友達の友達が作っているという「蹄鉄パン」を買って、はやくごはんを食べなければならないのに、次の予定のバスに乗るため、行きたかったレストラン「ノーザンテースト」には行けなくて、急いで高いパンと牛乳をのどに流し込んでバス停へ走って……。
 ああ、私の計画性ってダメダメだな……。と自分に点数をつけていた。自責の念にかられて落ち込む。こんな考えグセだからプチ鬱になるのだ、と思うが、性格はそう急には変われない。
 なんとかバスに乗れて、特急電車に乗って、洞爺湖へ向かった。

 ガタン、ゴトン……。電車に揺られて、アンニュイに外の風景を眺めながら、思いにふける。
 そう、私は、人間関係に傷ついて、旅立ったのだ。
 主に仕事場で。人には愛情を与えることが正しい思っていたけれど、仕事に夢と希望を失った。
 仕事場では成果が全てで、人への思いやりなんかない。チアガールとして応援している、会社の野球部の人も、あたし個人の愛情なんかいらないらしく、わかりやすいほど強烈にシャットダウンしてくる。後に残ったのは、男からの小さなプライドをかけた圧力や、女からのいわれのない嫉妬……。
 私は元からあまりない自信を、さらに失っていたから、癒さなければならなかったのだ。
 私のアイデンティティは、人や馬やモノを愛することから生まれる。
 愛するっていうのは、恋愛だけじゃない。ただ人に優しくしたり、思いやりを与えたり、応援したい、ただ何かしてあげたいという気持ちだ。そういう強い気持ちには自信がある。
 だけどそれをつっぱねる現実に疲れた。人間性を否定され、ただ機械のように動く毎日。
 それでも、人を愛するのは正しい、と思う。
 そのくせ私は、すぐ人を遠ざけるクセがあって、人間不信になっているのだ。こうやって一人で旅立ったのも、そのせいだ。
 多分、自分の時間や、やりたいことをとられるのが、怖いと思っているのだろう。
 でも人を信じるってことは、「時間をとられる」と思うことじゃない。「より自由になること」なんだろう。
 人はエネルギーと、さらなる自由をくれる。人は優しい。信用していい。
 人に優しくしたい。人を信じたい。
 そのための旅なんだと、ぼんやり思いながら、窓の外の大地を眺めていた。

   ↓ちなみにこの頃頭の中に流れていた歌。ケーブルテレビで「テイルズ オブ ジ アビス」見てるのだ
    http://www.youtube.com/watch?v=Ha69xh2UC0o&feature=related
    http://www.youtube.com/watch?v=hQPKk5tvZL0&feature=related   
「カルマ」名曲!!

 洞爺の駅に着くと、温泉街行きのバスに乗った。
 チラリと横のタクシー乗り場を見ると、看板にでかでかと「温泉街まで15分、1900円」と、親切にも書いてある。
 うへえ高ぁ、と思いながら私は320円のバスに乗って、ズンドコ揺られながら洞爺湖温泉へ急いだ。
 でも温泉街のターミナルに着くと……、そこからは、タクシーを使って急いで次の予定、乗馬牧場に急がなければならない。バスでは行けないのだ。金に糸目はかけられぬ。
 私はすぐさま走って、タクシーがたくさん止まっているタクシー事務所の方へ行った。でも、人が乗ってる、タクシーがない……?
 困惑していると、事務所の中からおじさんが出てきて、
「今呼ぶからね」
 あっちからすぐ来るから、と言うので、大丈夫かぁ?と不安になりながらターミナルに走り出て待っていると、温泉街ターミナルから少し離れた所に止まっている2台(たった2台!)のタクシーが動くのが見えて、やってきた1台に、私はヒッチハイクさながらはーいはーいと右手を大きく上げて、止まってもらった。
 とにかく必死で、間違いないように伝えねばと、
「レイクトーヤランチっていう、馬の牧場行ってください。馬の」
 と念を押し、わかります? と尋ねると、
「わかりますよー」
 とタクシーのおじさんはおおらかに答えた。
 それから、湖畔を走って山奥に向かい、馬に乗るの? そ~う、メジロ牧場? 近いよー、といった世間話をしながら、タクシーのおじさんに帰りのことを聞いておいた。
「帰りしって、向こうでタクシーありますか?」
「僕また迎えに行きますよー。帰り何時? 5時くらい? その時間ちょっっと行けないかもしれないけどね、その時はほかの人に言って、迎えに来てもらいますから。なるべく僕が来るようにするからね」
 と、親切に言ってくれる。ああ、田舎の人にはこういう温かみがあるんだな。都会の忙しいタクシーみたいに、金もらって終わり、じゃないんだな。と少し感動して、ありがとう、と言って、目的地で降りた。
 まさかその感動が、今回の旅全体に広がるとは、この時思いもしなかった。

 目的の乗馬牧場にたどりつくと、そこには私用に準備された馬が待っていた。牧場の人が元気にあいさつして迎えてくれる。
 そう、私は馬に乗って山登りし、洞爺湖の景色を眺めたくて、ひと月前から予約していたのだ。何を隠そう、乗馬ライセンス(一番かんたんなやつ)も持っている。
 そんなわけで、クウォーターホースという、おとなしくすぐ道草を食ってしまう馬の背に揺られながら、インストラクターさんの馬について山に登り、景色や空気を楽しもう……、と思ったのだけど、操縦(おもに道草食わないようにする愛のムチ入れ)に忙しく、ほぼ馬の「草食べたい目線」に気を取られながら、乗馬は終了した。
   

Photo                    道草食われつつ乗馬中。

 乗馬から帰ってくると、あのタクシーのおじさんが、もう待っていてくれた。
「ずっと前から待ってくれてますよ。お客さんのタクシーだったんですね」
 と牧場の人。
 私は乗せてもらったお馬にニンジンをあげ、牧場の人たちにお礼を言うと、急いでタクシーの方に走った。
 白髪で小柄な、人のよさそうな初老のおじさんは、車から少し離れた所にひょっこり立って、たばこをふかしていた。
 すみません~、と駆け寄ると、いいですよー、と言ってタクシーに乗り込む。
 見た感じは、60歳くらいだろうか。なんとなく、うちの信用金庫にいる嘱託(定年を越えても非常勤として働く、信頼のおける賢者)のおじさんたちに、雰囲気が似ている。私は仕事場で、嘱託のおじさんたちにとても懐いているのだ。以下、この親切なタクシーのおじさんを、「おじい」と呼ぶことにする。
「メジロ牧場行きたいって言ってたね? 宿に行く前にちょっと回り道して、見ていこうか」
 おじいは、私がメジロ牧場に行きたいと、行きしの車の中で言ったのを覚えていてくれたのだ。だから本当は他の地域の管轄だったらしいのを、他の人にまかせずに、私を迎えにきてくれたようだった。
 私は超ハイテンションで喜んだ。
「メジロ牧場! 見たい! 行きたいです! 行きましょ行きましょ~っ!」
 メジロ牧場といえば……メジロドーベル、メジロブライト、メジロライアン、メジロラモーヌ、メジロマックイーン等々々……数々の名馬を輩出した名門牧場なのだ。
 ただ、ここ10年ほどは、目立った活躍馬もなく低迷し、この夏デビューのメジロドーベル×ディープインパクト産駒の男馬が、両親合わせて12冠ベビーと呼ばれ、牧場の期待を一身に背負っているという。
 その低迷が始まった10年前に噴火し、メジロ牧場をおそった火山が、今回の観光地にある有珠山だと知ったのは、この少し後のことだった。

 メジロ牧場に着くと、もう見学は時間外だった。でも、おじいが牧場にいた若奥さんに話してくれて、外から馬たちを見せてもらった。
 あの名門メジロのお馬たちだ。私はめちゃくちゃはしゃいで、馬に近寄り、おじいに写真をたくさん撮ってもらった。夜間放牧のお馬たちも遠くから見ることができた。
 その後、近くのレークヒルファームのアイスクリームがとっても美味しいというので、おじいに寄ってもらい、アイス食う私、の写真まで撮ってもらった。
 そしておじいオススメのスポット、展望台に寄って、洞爺湖の中に浮かぶ中島を、高台からすっきりと見渡すことができた。
 おじいは、私の行きたいところ、したいことを第一に考えて、それに沿って出来る限りの案内をしてくれた。
     

Photo                       メジロ牧場の馬と私

 宿のチェックイン時間は18時。色々見て回ったので、タクシーの中で「ちょっと遅れますー」と電話した。メーターはもう6000円を超えている。
 明日は羊蹄山も行きたいんだけどな~。湧き水とか汲めるところ。バスで行けます? とか聞きながら、宿に向かっていると、おじいがふいに言った。
「もし――私を信用してくれるならね、」
 え? と私は注視する。おじいは続ける。
「明日、私、仕事休みだから。家の車で、羊蹄山に連れていきますよ」
 私の頭の中に、この旅の目的が、ふっと浮かんだ。
(あ――人を信用する だ!)
 行きの電車の中で感じたことを思い出す。今がその課題の時だと、はっきり感じた。私は人を信じるために、人を正しく愛するために、旅に出たのだ。
「そんな、私、車に乗せて誘拐したりしませんよ~sweat01そんな悪いこと、しませんからね」
 と、言うおじい。
 それは必ずそうなのだろうと思えた。人の“気”は感じ取れるものだ。おじいから感じる人柄は、邪もなく北海道の大地のように澄み切っていて、人が良く、あったかい心の持ち主だと感じられた。ただ、信じようと思った。
「いいんですかー? そんな、お家の車で、休みの日に無償で案内してもらって……」
「うん、いい、いい。やー、あなた明るいしね、なかなか~~人柄に惚れたからね。これも、縁だから」
 そんな、こんなネクラな(笑)私の性格など褒められたものでもないだろうに、そう言ってくれる。
「明日羊蹄山の湧き水汲めるところもあるからね、ペットボトル持ってきてあげるから。あ、メーターももう止めとこうね」
 と、宿への道すがら、タクシーのメーターを6500円でポチッと止めた。

 明日10時頃に宿の近くまで迎えに来るから、と約束し、連絡先として携帯の番号を交換して、私は宿の前でタクシーから降りた。
 また明日~と手を振って、宿に入るも、私は一抹の不安を抱えていた。
 はたしてこれでいいのだろうか? 少し、警戒心が、私の中で問いかけてくる。信じていい相手だとはわかっているけど、本能的な警戒心が働いてしまうのだ。私は本当にびびりだ。
 最初に予定していた旅のプランとは、大きくかわってしまうかもしれない。いや、まさか一日中時間をとられるということはないだろう、午前中で、つつがなくお礼を言って解放してもらおう……とか、そんなことを考えていた。
 あまりにもご立派な夕食を、たらふく食べながらテレビを見ていると、おじいからケータイに電話がかかってきた。かすかなおののきを腹の底にかくし、明るく電話に出る。
「はい~」
 内容は、
「明日10時だったら時間もったいないから、9時くらいに出られる? 宿出て道沿いにまっすぐ歩いて来てくれたら、白い車で向かいから走っていくから。ナンバーは○○―……」
 というものだった。
 まるで、時間午前中で足りるかな~、という私の懸念の心を、遠くから読んでかけてきたかのように、ぴったりなタイミングでの電話だった。
 その後、悪いので私用のペットボトル(いろはす)を買って用意し、毎夜洞爺湖上で見られるという花火を、一人で外の足湯に浸かりながら、見上げていた。
 宿に帰ると、名所・洞爺湖温泉に、ゆ~~っくりと浸かりながら、ぼんやりと替え歌を作った。
   
    ↓洞爺湖温泉に浸かりながら替え歌を作っていた。alanのレッドクリフ〜心・戦〜♪
    
http://www.youtube.com/watch?v=giQRV1kI8L0&feature=related  温泉浸かってた他の人からは、(こいつ歌ってる!)と思われたことだろう。

 その夜、宿のテレビで、いつか見たような番組を見た。何気なくつけたチャンネルである。
 ひとつは、「熱血ホンキ応援団」というもので、元野球選手の清原が、甲子園時代戦って、今故障から復帰してきた元投手のおじさんに、戦いを挑まれて、潔く受けて立つというもの。清原いわく、
「甲子園は特別だから。あの時対戦した彼の球も、自分が打った打球も覚えている」
 という。
 ああ――私は思い出した。この清原は、あたしが今絆を断っている、野球部のある古株さんと、同じ高校で先輩後輩だった、元球児なのだ。
 私は、それこそ『熱血でホンキの応援団』でいたかったのに、何を間違ったのか、その古株さんと、全くの国交断絶状態になってしまった。
 それでも私は、こんな彼らの姿に感動したのではなかったか。拒絶されて、どうすればいいのかわからないけど、やっぱり応援するのが正しい気持ちだと、見せつけられたような時間だった。
 もうひとつ、やっていたテレビは、芸人が田舎の孤島を旅するものだった。
 伝統的な漁法を身につけようと頑張る若者を、熟練の漁師のおじいおばあが、地元総出で出迎え、厳しくも温かく育み、別れの時は、愛情いっぱいに送り出す、というような内容だったか。(過去に見た旅番組と内容かぶってるかもしれない)
 地元の人の温かみっていいな~~と感動した(何でも感動する)。私も旅をするなら、こんな体験をしたいなあと、前から思っていた。
 なぜこの機会に、こうも私の考えていることに一致する番組が流れるのだろう、と不思議に思いながらも、また明日、朝早く起きて9時に出られるように、眠りついた。

   
 さて、次の日である。
 部屋に運ばれてきた朝ごはんの量は、ハンパじゃなかった。
 ヤバい、料理高いプランにしすぎた……。腹の中には、昨日限界まで食べすぎたものがまだ残っている。でももったいないから朝も全部食べてしまう、貧乏性な性分で……。
 顔を外用に作って(化粧して)いると、おじいから電話がかかってきた。
「もうそろそろ行くからね。宿の前の道を、右の方にゆ~っくり歩いてきてね。今から家出ますからね」
 方向音痴な私は、道の方向を何度も確認してから(それでも間違うことがあるのだ)、電話を切った。さ、行かねば。
 フロントでお支払いをして「ありがとうございました~」と送り出された。旅の醍醐味は、宿の歓迎と心地よさもあるだろうが、今回の旅では、宿は影の薄い脇役となってしまった。

 言われたとおりの道を、まったりてくてく歩いていると、おじいのものらしき白い車が、歩道沿いの空き地に止まった。急いで駆け寄ると、なんど、でっかいワゴン車じゃないか!(高そう!)
 中から、昨日のおじいが、ひょっこり笑顔で出てきた。チェックのシャツに、ジーパン。何ともナチュラルなたたずまいだ。
 横の助手席に乗せてもらい、車は発進した。
 車は洞爺湖畔沿いを走って、眼前に広がる湖や、浮かぶ中島、湖岸にはたくさんのキャンプ客のテントが見えた。今日の天気は残念ながら曇りで、スキッと青くは見えない。湖全体に白いもやがかかっている。昼から雨が降るかもしれないらしい。
 おじいは洞爺湖温泉の対岸にあると語っていた、自分の家に向かっているようだった。ややビビる私。明るく話しながらも、昨日よりは勢いがなかったかもしれない。やはり、誘拐……とまではいかないが、全部の恐怖心は取れていないのだった。人間不信は一朝一夕に治らない。
 おじいの車は、元職場だった村役場(公務員だったらしい。)の隣の道を抜けて、すぐ近くの小奇麗な一軒家に止まった。
 私用のペットボトルをとりに家に寄る……ということだったが、私は昨夜「いろはす」を買っていたので、それより、今日の昼からは洞爺湖内の中島を散策したいので、雨が降りそうだからビニール傘をかしてほしい……と、おそるおそる頼んだら、家の中までビニ傘を取りに行ってくれた。本当に何から何まで頼り通しである。
 そこへ、窓からおじいの奥さんが顔を出した。空のペットボトルを手渡してくれる。(が、それは自動的におじい用のペットボトルとなった)そして私に言った。
「……まああの人は、ほんとに人畜無害な人だから、安心して、色んなとこ連れてってもらったらいいよ」
 恰幅のいい奥さんからそう聞くと、私は同性の保証をもらったようで、幾分かの確実な安全をもらったような気がした。
 おじいが家の中から傘を持って帰ってくると、私はもう恐縮とかもいいことにして、さあ、出発だー! と楽しくおじいと出かけた。

 車の中でしみじみ、「タクシーで行ったら高かったよ~」というおじい。「ええ、レンタカー借りても、私道に迷うんでムリですし」という私。
 前方に、羊蹄山が近づいてきた。でも、山の麓から上を雲ですっぽり覆われていて、ほぼ見えない。
 羊蹄山には、行きたいのではなく、見たいのだ。羊蹄山は、『自分にとっての絶景ポイント』を見つけることが、大切らしい。
 おじいは、私の絶景ビューポイントを探して、山の麓の、各町村をぐるぐる回ってくれた。
「どうしてそんなに羊蹄山にこだわるの?」
 おじいの素朴な疑問に、私は本心を答えられなかった。
 羊蹄山は、女性らしい愛情のパワーを与えてくれる場所だから、なんて。
「いやぁ~……パワースポット特集の本で見つけて、行きたい!! って思って。全部直感で動いてるんですよ、私」
 やっと少し雲の切れ間が出て、晴れてきたころ、私たちは最初の水汲みポイントに着いた。

 最初に行ったのは、たくさんの人が(業務用含む)水を汲んでいる、羊蹄山ふもとの湧き水ポイントだった。
 本当に、今まで農作物の畑の風景ばかりで、人っ子ひとり見当たらなかったのに、北海道のどこにこんなに人がいたんだと思うほどの賑わいだった。引いたホースから、大量の貯水タンクに湧き水を汲んでいた、喫茶店の人いわく、
「これでコーヒー淹れると味が全然ちがうのよー」
 とのことだった。
 私も、おそるおそる、今回の旅の目的のひとつだった、羊蹄山の湧き水に向かって、ポットボトルの口を差し出す。
 水は勢いよくペットボトルに入り、大量に噴き出す冷たい水が、手にざばざば流れる。
 急いで注ぎ口から取ったペットボトルは、内部の水の冷たさに、もう外に水滴がついている。おじいも続いてペットボトルに湧き水をくんだ。
 おもむろに、ぐいっと飲み込むと、
              ……美味しい!
 山の鉱物でも含まれているのか、生きた自然のエネルギーの味がした。
 本当に、買った「いろはす」の北海道産天然水より美味しい。幼いころ、京都に旅して飲んだ湧き水以来だ。湧き水には、山のエネルギーがみなぎっていた。
 でも、おじいは「そう? いつもの味」とばかりに、きょとんとしていた。普段からさぞかしいい水を、トイレに流していることだろう……。
 その後、湧き水近くの豆腐屋にも入って、チーズのようなふわふわの甘~い豆腐を、試食だけして帰ってきた。(買わない)

 おじいいわく、一ヶ所目は「かみさんは、若い人が旅行で行くにはちょっと情緒がないって言ってた」らしいので、次の湧き水ポイントに行くことにした。
 たしかに、そこは情緒たっぷりだった。森の庭園があって、川にきれいな水が流れて、そしてたくさんの人々が、竹管に流れてくる湧き水のこぼれ口から、水をくんでいる(まるで流しそうめんのように)。羊蹄山のふもとに広がる、自然公園だった。
 またしてもペットボトルに水をくんで、ぐびぐび飲み、大事に持って帰る。おじいに記念写真も撮ってもらった。
 そうやっておじいにつれられて、湧き水のせせらぐ川の飛び石をえい、えいと越えていると、不思議な感覚が胸に満ちた。
 ――ああ、やっぱ、人と一緒にいるのっていいなあ。心地いいなあ。楽しいし、安心するなあ。
 こんな風に、まるでどこかのゲームや小説みたいに、一人旅に出て、出会いがあって、仲間になる、ようなことがあるんだなぁと思う。それは、驚きと感動だった。

 おじいと森の奥へ行くと、広場に出た。この日はたまたま、何かお祭りだったようで、驚くほどの人が集まっていた。和太鼓のステージ会場には、大勢の人が陣取って座り、その周りに、屋台がたくさんならんでいた。お祭り日和、絶好の観光スポットだ。でも……。
 おじいの後からついて歩いていた私は、足を止めた。
 なぜなら、あたしが行きたい場所は、ここじゃないから。
「そうか、なら行こうか」
「うん」
 頑固にもこっくりうなずく私に、おじいは帰りの道へ引き返してくれた。

 私の心の中には、行きの道中に見つけた、羊蹄山絶景ビューポイントがあった。「やっぱりあそこだ」と確信した。その後、奥の駐車場まで戻って、おじいに頼んで、きた道を戻ってもらった。
 あそこからだけ、雲が切れて、晴れ晴れとした空の下、一面に広がるじゃがいも畑の上に、目の中に飛び込んでくる羊蹄山が見えたのだ。
 おじいは、
「はいはい、来た道ね~。戻るから、わかりますよー。そこまで来たら車泊めるから、言ってね」
 と言って、向かってくれる。

 ついにその場所に着くと、私はじゃがいも畑の雪よけ機(が、道沿いに塀のようについているのだ)の間から、見える羊蹄山を撮りまくった。
 雲が切れていて、北海道の大地・じゃがいも畑の上にあるというのが、またいいのだ。
 おじいは車を泊めて、遠くでたばこをふかしながら、思う存分撮らせてくれた。

 今思うと、結局、こういう形でないと、「行けるかな~」とおぼろげに夢見ていた、羊蹄山に行くことはできなかったのだ。一人で何となく電車を乗り継いで、バスで山の麓に行っても、水は汲めなかっただろうし、山には厚い雲がかかったままだっただろう。
 私が山を見られたのは、おじいとの出会いと、助けがあったからだ。
     Photo
 私にとって、あの時雲間が切れて、北海道の大地の上に見えた羊蹄山は、人の優しい助けがないと、人と一緒に行かないと、人を信じないと見られない山だったのだ。
それが、人間関係に疲れて旅に出た私が夢に見た、愛情を復活させる山、羊蹄山なのだ。

 さあ、予定通り、昼までに羊蹄山と湧き水行けたね、と、意気揚々車の中で話しながら、温泉街の方へ戻っていると……。
「今ならメジロ牧場見学できる時間だけど、行く?」
 と言うので、
「行く!」
 とソッコー道を、メジロ牧場へと続く方に切り替えて、直進した。
 メジロ牧場は今日もなぜか人はおらず、(後から考えるとこの日は『セレクトセール』の日だったから、牧場総出で珠玉の仔馬をつれてセール会場に行っていたのかもしれない。知らんけど)仕方ないので近くのお馬たちとたわむれた。
 厩舎から顔を出してくれた、こちらに興味のまなざしを向けるお馬たちに、あいさつに行く。
 ある子に、手をさしのべて鼻づらを触ろうとすると、ビクッ!――と、馬房の中にのけぞってよけられた。
「あー、びっくりさせてごめんね~sweat01
 と下がり、他の子とたわむれていたら、怯えた子がまた顔を出してきて、興味深げにじーーっと見ているので、もう一度ゆっくり行って触ったら、普通におとなしくしていた。さっきはちょっとびっくりしただけなんだよね。
 そして、厩舎の外で囲いに入った、すごく立ち姿のきれいな子が、こちらを見ていた。股間をじっくり(こら)見るに、どうやら牝のようだ。
 ゆっくりと歩く、その歩様が、ぞくりとするほどやわらかく優雅で、美しい。私は、
「なんてキレイな子!」
 と惚れこみ、その子としばしたわむれた。
 この子の名前は? 有名な名牝かもしれない。そうでなくても間違いなく、由緒あるメジロ血統の、宝の牝馬なのだと感じられた。

 その後、どこまでも続く広大なジャガイモ畑を車で行きながら、あまりにもジャガイモの花を見過ぎて、北海道の文化はジャガイモなのだと思い、ジャガイモが欲しくなってきた。
 そこで、おじいの提案で、「道の駅」へ行ってみることに。まだ時期じゃないけど、早めに収穫されたジャガイモがあるかもしれない、ということだった。
 道の駅には、地元の人が作った野菜の中に、数個だけ、「インカノメザメ」という、早い時期に採れる小さなジャガイモがあった。小さいのが8個ほど入って150円と、値段もいい感じ。いそいそと買って、リュックに入れる。
 ジャガイモは元々アメリカ大陸が原産で、マヤやインカの古代文明で栽培されていたものだ。それを、コロンブスの後訪れたヨーロッパ人が持ち帰り、戦地の下でも育つというのでヨーロッパでも広がり、今こうして北海道の大地にも根付いている。
 そんな歴史ロマン?を感じながら、ゲットしたイモを大事に車に持ち帰った。

 それから、私はトイレが近いので、ちょうどいい所にある、昨日行ったオススメ洞爺湖展望台に行き、トイレだけに、観光するフリしてそ~っと入ってきた。だんだん洞爺湖畔に近づいてきた。
 何気に、車の中で人生相談にものってもらっていた。何と、おじいもその昔、信金職員だったというのだ。それから勉強して公務員になったようだが、なるほど、だから「信頼感あふれる嘱託のおじい達」と同じ雰囲気を持っていたのだ。
「信金やっぱいやですか~」
 と訊くと(実は今回、転職も決心しようかという旅でもあったのだ)、
「でも、お金が安定してるし。お金なくて幸せってのはないからね。で、嫌になったらこうしてまた旅にでてくればいいさ」
 と言い、やっぱそうだわな~、と思ったのだった。
 それから、湖の近くの、美味しそうなおそば屋さんがあったので、おじいが
「お腹いっぱいかもしれないけど、ちょっと食べて行こうか」
 と言って2人で食べに行くことにした。

 考えると、羊蹄山に行った後すぐ帰らず、色々と寄り道をしたのは、2人の旅が終わって別れるのが、名残惜しくなっていたのかもしれない。
 たこの天ぷら付きのそばは、羊蹄山の水のように、美味しかった。
 ただ、近づく時間とともに、私はじくじく焦りも感じ初めていた。
 次は洞爺湖の中島に行って、森を散策したいと、当初から考えていた。道中は、(ああ、次は中島に行って、自分の旅の時間を持ちたいのに、早く解放してくれないかなあ)なんて、思ったりもしていたのだ。
 中島に行く遊覧船は、30分おきに出発している。今はもう、1時半前だ。
 その時ふと、おじいが、
「1時半はムリだな……2時、も、ムリだな……」
 と、壁にもたれて目を伏せ、さみしそうにつぶやいた。
 私は突然怖くなって、早く行かねばと思った。このままでは、私の目的と予定が消えてしまう!
「……行く!」
 私は力強く言った。
「行くの?」
「うん、行く! 1時半のに乗りたい」
「……うん、それじゃ、行こうか」
 そう言って立ち上がると、おじいがお金を払ってくれて、私たちは悠々とそば屋を出た。

 車に乗り込むと、おじいは急いで車を飛ばしてくれた。
 ここからだと、次の1時半の便に間に合うか、微妙なところだ。というか、決断が遅かったので、もうムリかもしれない。2時まで次の便を待って、洞爺湖畔でぶらぶら散歩していてもいいのだ。でも、
「あ~~こんな時に限って信号がsweat01
 と、おじいは本気で車を飛ばして、間に合わせようとしてくれる。
「遊覧船の割引チケット持った? 僕、おろすとこから、まっすぐいったらすぐ乗り口あるからね」
 と心配もしてくれる。もう、いいのに、2時でもいいのにと思いながらも、1時半の便に望みを抱く。間に合うかもしれない。ギリギリだ。
 船着き場が見えた。おじいの車がギューンと岸辺に向かう。
 あれ? 本当は、ここで今までのお礼や、別れを惜しんだり、色んなありがとうをたっぷり言わなきゃいけないはずなのに。
 そう言うと、おじいは、いいよ、そんなのと、穏やかに笑った。
「さあ、着いた! 走って!」
 車の扉を開けて、飛び出した私は、必死のダッシュでギリギリ間に合いそうな遊覧船乗客の行列を目指しながら、振り返った。
「ありがとう! 本当にありがとうございます!!」
 それでも船のチケットを握りしめて、乗船場へ駆けて行った。
 本当にギリギリ、一番最後の乗客として、私は洞爺湖遊覧船に乗り込んだ。
 でも、おじい。まだお礼や、言いたいことがいっぱいあったのに! まだ船着場近くに見えるかもしれない。
 そう思うと、一目散に、陸地側にある、船尾の乗船室に走った。
 そこは優雅な長イスがならんでいて、たくさんの窓からは、船着場の岸辺のようすが見えた。
 外に、おじいの姿があった。車から降り出て、出航前の船を見守ってくれている。
 私は空かない窓の中から、思いっきり手を振った。おじいは気付いてくれた。手を振り返してくれる。
 私はさらにぶんぶん手を振る。船が動き出した。
「ここは一等船室ですよ! お支払いしてない方はお乗りになれませんよ」
 と後ろで船員がわめいていった。でもかまわず、遠ざかってく岸辺のおじいに、まだ手を振る。見えなくなってきたので、上階の、船のデッキの上に出た。
 ざあざあと水しぶきをあげる湖の上。ここには、家族連れなど他の観光客もたくさんいた。進む船が、遠ざかる岸辺に、まだ小さくおじいが見えた。全身を使ってぶんぶんと手を振る。おじいも手を振ってくれているのが、小さく見える。私はめいいっぱい手を振る。おじいがまだ岸辺にいて、こちらを見て手を振ってくれている。やがて温泉街は小さくなり、おじいはもう見えなくなった。
 私は一人泣きながら、岸辺を見つめて船に乗っている、ヘンな子だった。この出航が今生の別れとばかりに岸辺に手を振る人は、私一人だっただろう。。(そりゃそうだ。みんなは一緒に観光しに来てるんだから)

 やがて中島に着き、念願だった植物会館や、エゾ鹿のいる森の中を歩いて回ったけど、それが結局何だったというのだろう。
 帰りの船に乗って、ざあざあしぶきをたてる湖を見つめながらも、私はおじいのことを考えながら、いっぱい後悔をしていた。
 何で、午前中までで解放してほしいなんて、思っていたんだろう。
 何で、早く一人の時間がほしいなんて、思ったんだろう。
 何でちょっとでも、邪魔だなんて思ってしまったんだろう。
 おじいはあんなに良くしてくれて、最後にただ、少し寂しがっただけなのに。
 この旅は、“信じること”のための旅だと思って、すごくいい人に出会ったのに、また人を怖がって、疑った。信じ切れなかった。
 水面を横切る船に乗りながら、自分の心の汚さが、水泡がはじけるように、次々浮かびあがってくる。
 これじゃあ、私が怒っていた、私の良心に対する野球部員たちの態度と、同じことをしてるじゃないか。
 今ならわかる。彼らもただ怖がって――そう、メジロ牧場で、いきなり触って驚いてしまったあの馬のように、怯えていただけなのだ。きっと私の応援したい想いの中に少しでもあった、欲と執着に対して。私が今回、時間をとられるんじゃないかと怖がっていたのと同じように。
 でもおじいは、私がよそへ行きたいと言ったら、すすんで手放して、送り出してくれた。どこまでも優しく、「これも縁だからね」と。ただ人と人は、縁を持ちながら通り過ぎていく葦なのだ、と言わんばかりに。

 しばらく後悔にさいなまれ、悲痛な思いで泣いていて、気付いた。

 もし、心に何もやましいことがなかったら、今、どう思っていただろう、と。
 それが本当に正しい答えなんだろうと思った。きっと、おじいは後悔してほしいわけじゃない。
 ただ、怖がらずに、考え過ぎずに、優しくしてくれたことを受け取って、ありがとう、と思えばいい。
 たくさん感謝して、欲も執着も後悔も、洞爺の湖に捨てて、ただ幸せだけを家に持って帰ればいい。
 私はまた自分の心の汚さに気付いたけど、それを洗い流して、浄化してくれるパワーが、洞爺湖にはあった。
 人と共に生きていこうとか、したいこと以外の“周り”は、邪魔ではなく必要不可欠な助けになるのだと思えた。
 私は涙を流しながら、後悔と執着と怖れを、洞爺湖に捨てた。

PhotoPhoto_2
         この旅で一番、価値のあったもの

 帰りし、ちょっと勇気を出しておじいにありがとうの電話をした。借りていたビニール傘も、タクシー事務所に返しておいた。
 おじいは電話の向こうで何でもないことのように、ちゃんと船で中島まで行けたか、帰りのバスにも間に合ったか、また道中の心配をしてくれた。私はとにかく、おじいのおかげでこの旅がいい旅になったことの、感謝を言うことができた。

 電車や、空港から大阪に着くまでは、かなりの時間と道のりで、目もかすんで体はしおれそうだった。
 だが空港では、ありったけのお土産を買った。普段旅行に行っても、お土産はほとんど買わないけれど、今回は本当にいい旅だったから。普段買わない会社の人や、友達家族にも、幸せのおすそわけをしたいと思って、行きの荷物リュック1個分よりも、大きな袋いっぱいにつめこんで帰ってきた。
 人に傷ついて旅に出て、人にやさしく癒されて帰ってきた旅だった。短時間の中で、人との出会いと別れが凝縮された旅だった。
 愛情のパワーをたたえた羊蹄山と、過去を捨てて生まれ変われる洞爺湖、そしてでっかい大地の北海道は、確かにそんなパワースポットだった。

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