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2011年12月

年末の 難波の夜に 火の用心

年末の 難波の夜に 火の用心
こんな都会なのに、今なんばでは、

火の用〜心♪ カチ カチ

が鳴り響いております。
街のおじさんおばさん、とっても元気。

だがしかし…

今日夜ごはん作るときにやっちまったよ。
髪の毛チリチリ。こげくさい。
いやみそ汁をね、温めようとしたら、その手前の鍋のコンロの火が激しくて、髪の毛先が焼けちまったんだよ〜〜ぅ(泣)

その後ごはん食べてる時に、♪火の用心が聞こえてきた。

遅い。。もう髪の毛焼けた後だ。
まあほんまに、年末、火には気をつけて。

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自分がいまだウツでした

久々に高校のときの友達に会った!
お人形さんみたいに可愛らしい、華やかな女の子2人と喋りまくった。
ほぼ10年ぶりで、結婚もしたと聞いていたので、きっと順風満帆、幸せに暮らしてるんだと思っていた。

が、そのうちの1人の子が、なんと数年前までウツを患っていたというのだ!
それも金融機関に勤めたのが合わなくて、気の病にかかり、治すのに3年以上かかったらしい。
まさかの同境遇…! でも今は復活して、元気に暮らしているらしい。

そのころの話を聞くと、症状や環境が自分と重なることが多々あった。
例えば、朝がしんどくて、夜になるほど元気がでてくるというのは、ウツの基本症状らしい。
あと、しんどい日は朝、体が重くて起き上がれない。肩の横に手をついても、体が上がらないのだ。
そして恐ろしいのは強迫観念で、何かをせなせな、と焦ったり、できないと失望したりして、何かもう世間から、生きてることすら責められてる気もする。
人に会って、
「今何してるの?」
とか言われるのもキツい。
「ちょっとずつでも仕事しろ」とか、
早く仕事しろよ。休んでるやつは楽でいいよね。とか、
やっかみまじりのイヤミを言われて、サボってるダメ人間みたいに見られているのだ。
でも他人たちは、患者の気持ちなんて知るよしもない。

ウツ病は、なった人にしか、本当の気持ちはわからない。
友人どころか、親でさえも、何もわからず心をエグるようなことを言ってくる。
わかってもらえるまで、友達はお父さんと怒鳴りあいの大喧嘩をしたらしい。
病んだ時、周囲の理解が治療に大きな影響を与えるというのは、なんだか非常によくわかる。
あたしの周囲で理解してくれてるのは…叔父さんくらいか。

友達の話を聞いて、改めて、あたしはまだウツなんだ、と気づいた。
というか言われた。
その子によると、ウツの人は「目」でわかるそうだ。
ウツの時は目が死んでいるらしい…。
ちなみにあたしは、
「まあまあ回復してるけど、まだ『目』が疲れてるね」
と見抜かれた。
うおお、目を見るだけでわかられてしまうなんて、恐るべし。
でもその子は、3年あまりで本当に完治したらしく、治ったらスッキリして世界が明るく、より楽しく生きられるらしい。
ただし、再発する人が多いのは、完治する前に仕事などをし始めてしまうかららしい。

これは断固、完治させるしかないな。
みなさんも、身のまわりに欝で病んでる人がいたら、まあこんな気持ちなんだとわかってあげてくださいな。

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相続 ~金と利害が人を汚すとき

 相続争いが勃発した。

 49日が過ぎ、おじいちゃんの遺言をひらいたのだ。

 「汚い」お金というのは、こういう風にして出来るんだな、と思った。
 金や自分の利害がからむと、人はおそろしいほど汚く、「自分さえ良ければ良い」となる。
 今日こさっぺは、この小さな相続争いにも、社会の縮図を見た。

 世のご老人というのは、驚くほど金を持っている。
 まったく今の若者に年金をわけてほしいと思うくらいだ。
 そんな埋蔵遺産金が出てきたものだから、息子や娘は大喜びした。それも、おじいちゃんやおばあちゃんの面倒は、全く少しも見ていない兄妹たちが、である。
 うちは次男にもかかわらず、おじいちゃんとおばあちゃんの面倒をみているので、喜ぶというよりは、おばあちゃんのためにどう活用するかにまず頭をつかう。
 そして無責任な兄妹たちは、「面倒を見る」という義務は果たさないのに、「金をもらう」という権利ばかりは過大に主張してくる。
そ、れ、が、相続争い、というものだ。

 そんなわけで、おもに面倒を引き受けさせられることになるのが、うちのママである。
 今日ママは、パパの妹さんの言葉に、怒り心頭していた。
 パパの妹さんは、おじいちゃんが死ぬまではあたしも全く見たことのなかった人で、ここではサッチーさんと言っておく。(パパのお兄さんもいるのだが、それはさらにタチが悪いのでここでは割愛)
 サッチーさんは、おばあちゃんにあげたはずの米をママが横取りし、その上法事で出した御仏前金までママがネコババした、とパパに言ってきた。
 いや、お米はおばあちゃんに分けてもらったものだし、法事のお金は、このあと仏壇を買うために保管しているのだ。なんせおばあちゃんの身の回りの面倒を見ているのだから。
 それを、サッチーさんに「自分の金を盗んだ」とばかりに悪者呼ばわりされたものだから、パパにその話を聞いてから、ママは怒りに打ち震えていた。
 隣で見ていても、ママは黙って固まっているだけなのだけど、怒りが黒いうずとなって、体内に渦巻いているのが見えるようだった。
(な・なんでそんなこと言われなあかんの・・・)プルプル
(自分らしっかりせんと、全部こっちに面倒押し付けようとしてるくせに・・・)
(金のことばっかうるさく言うてきて、おばあちゃんにもいらんこと吹き込んで・・・)
(×△@■☆▼*◇!!)
 と、いう声が聞こえてくるようだった。
 あたしも同じ気持ちになって、2人でずーん、と怒りに沈んでいた。

 が。
 おや? この気持ち、なんか覚えがあるぞ。
 思い出す。そうだ、会社であまりにも理不尽なことを言われ続けた時の、あたしが病んだ原因の気持ちと一緒なんのだ。
 思えばママも真面目で、物事が見えすぎて、かつ全部イヤなことも自分で抱え込んでしまうところがある。
 こさっぺはなにかとお母さん似で、だからこそママを私が救わねばっ、と思って心配していたのだけれど、なんだ、この悩み方は、あたしと同じじゃん、と気づいた。
 そして客観的に言った。
「どうせ向こうは、何も考えてないよ。みんな自分の都合しか考えてないんだからさ。そんなんで、しょーもないこと言われたのをいちいち気にしてたって、時間の無駄だよ。適当に言われたことを、真面目に考えて悩む方がバカみたいじゃん」
 まさにそのとおり。
 自分で言いながら、自分が今まで悩んできたことも、いかにアホらしかったか実感できた。なんかもう、会社の呪いというか、憑き物が落ちたような気持ちになった。
 第三者の目で客観的に見てみると、自分の状況も今のママと同じで、なんっっっってしょーーーもない薄っぺらなことで悩んでたのかしら! と再認識した。
 あたしの上司だった人たちが、物事を良く考えて発言していたかといえば100%違う、というのは周知の事実だった。
 責任逃れてヘラヘラ~と生きる、そんな人たちの言動に振り回されて、悩む必要はないのだわ!
 どうせみんな何も考えてなくて、自分のことしか考えてなくて、その場で適当に言葉発して生きてるだけだもんな。
 ママを救うつもりが、自分が救われたような気持ちになった。

「そうだよね」
「ね」
 と言いあって、その後は2人で納得して、ガハガハ笑ってテレビでも見た。

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夢かたり

 夢を語ろう。
 どんどん語っていこう。

 希望を持とう。夢がふくらむね。

 世にあふれる決まり文句やコピーはそう言うけれど、ほんとうにそうしている人はどれだけ少ないのか。
 大人になって知った。

 その日こさっぺは、ちょっと鬱屈した気持ちで本屋をうろついていた。
 前いた会社の女の子たちとお茶してたんだけど、話の内容がどうにも噛みあわなくて、本屋に居場所を探しに行ってたのかもしれない。
 考えれば仕方のないことで、彼女たちはあたしが嫌だった仕事を当然にこなし、きちんと会社の枠におさまって、平凡だけど幸せなOL生活を送っているのだ。
 政治むきの話になった時の意見の決裂には、肝が冷えた。もう本当になにも言うのはやめよう、と思った。
 根本の主義主張が違うのは当たり前、だからあたしは、その社会にいられなかった。
 素直に思ったことが言えない。居場所がない。
 しょんぼりと本屋を歩いていると、『絵・イラスト』の棚に来たので、ぱらぱらと本をめくっていると、突然隣から声がした。
「あの、絵とか描きはるんですか?」
 女性だった。30すぎくらいか。おしゃれなストールに、揺れるイヤリングがきらめく。
「は、はい~、まあ」
「上手に描けはるんですか~? あたし全然絵心なくてー、本見て勉強しようかと思ったんですけど」
 おおらかで、勢いのあるしゃべり方だ。それから一定時間、絵にまつわる世間話をした後、仕事とかの話になって(ライターをしているらしい。あたしも合わせて元の仕事をしてると偽装)、なんだか共通点も多く、饒舌になって話は弾んで弾んで、しまいには生き方や考え方について、本棚の前で何十分も語ってしまった。
 最後には携帯アドレスの交換までしてしまった。
 もう、怒涛の勢いだ。
 その後も、つまらなかった合コンの帰りみたいにブッチするようなことはなく、帰りながら速攻メールの交換をし、2、3日後にはお茶をする約束まで、その日のうちにしてしまった。
 だって思ったのだ。
 新しい扉が開いた。もし運命というものがあるなら、これがその力による出会いだ、なんて。
 今あたしに必要なのは、少し年上の、自己を確立して、さらなる飛躍をめざすバリキャリお姉さんなんだわ!
 思えば前に仲良くなった人もそうだった。秘書経験あり、広告関係の仕事をして、自分を磨いている6つ上のお姉さんだった。その子とは自慢じゃないが会社辞めた時期も同じだったし、クリスマスまで一緒に過ごした(笑)
 そうだ、あたしが求めているのは、目指しているのは、こういう女性よ!
 ああ、あたしの居場所はこれなんだ。話す内容があまりにも自分にしっくりきて、開放された気分だった。誰にも言えなかった本音を、素直に話してもいいんだ、と思えた。

 そんなわけで、結局5日後に、梅田で一緒にゴハンを食べることと相なりました。
 もう最初から、あの日言えなかった、
「実は仕事辞めたんです」
 を言おうと心に決めていた。(いや、初対面でいきなり仕事はいま無職です、とは言いにくい)
 言ったところで、お姉さんはすんなり受け止めてくれた。
 彼女は考え方がとてもあたしと似ていて、会社の枠にはめられて仕事するのは嫌だ、自分の代わりがいない仕事がしたい、出世して上に行こうとする人の上っ面や陰での文句は耐えられない、文句を言ってくすぶるだけの人生なんて嫌だ、やりたいことがたくさんある、自分をもっと高めてからでないと結婚はない、などなどなど……
 一般常識にとらわれない、いわゆる異端、革新、やりたいことをやって人生を切り開く道を行く人だった。
 話を聞いていると、やりたいこと、夢や明確なビジョンが次々口から飛び出てくる。
 あれがやりたい。これがやりたい。こんな出会いがある。もっと経験したい。いろんなものを見たい。このままじゃいられない、もっと高く高く高く。やれる。できるよ。絶対そうしよう!
 ああ、夢を語る人というのは、こういう人をいうのかと思った。be ポジティブ!
 溢れんばかりのエネルギーから、希望やビジョンがどんどん出てくる。口に出された瞬間、本当に実現できそうな気がしてくる。
 あんなに夢は大事と世間では言っているのに、未だかつてこんな人と出会ったことがなかった。
 学校にも会社にも、作家の大先生だって、ここまで若く希望に満ちたきらめくエネルギーを放つ人はそうはいない。(まあ大家の先生はもうおじいちゃんというのもあるけど) いや職業なんてもはや関係ない。
 文句を言う人はたくさんいる。
 あれがだめ、これがだめ、馬鹿なことは言うな、そんなの無理に決まってる、辛いのが現実なんだ、ああ昔はよかったのに今は全部だめ、だめだめだめ、お前なんか俺の足元にもおよばないぜ。
 大人はどうして汚くなるのかしらん、と思うけど、だめだめ言う人は、自分の何かが上手くいかないから人に当たってるだけかもしれない。
 だって夢に向かって前進し続けてる人は、そんな、人に嫌なことは言わない。むしろ前向きに未来を照らし、応援する言葉をかけてくれるんじゃないのか。このお姉さんみたいに。

 自分の世界の狭さを思い知った。もっともっと、いろんなものを見て、人に会って、見聞を広げていこう。なんせ人生まだ始まったばかりだもんね。
 そんなわけで異業種交流会に誘われたので、そっちにも行ってみることにした。なんでもお姉さんに影響をおよぼした実業家さんや、活動的な、いろんな経歴の人がいるらしい。
「変な宗教じゃないの?」なんて足を引っ張るネガティブなチャチャは入れないでよ?(笑)
 とにかく飛びこんでみる。そこから世界が広がるかもしれないもの。

 ちなみに、お姉さんに、
「なんであの本屋で声かけてくれたんですか?」
 と聞くと、
「うん、こさっぺちゃん、本見てる時に口角が上がってて、すごく絵が好きなのかなぁ~と思ったから」
 出会いなんてそこらにあるし、カフェで隣の席になった人とも友達になれるよ、とお姉さんは笑った。
 本を読んでニヤケていたのが功を奏したらしい。

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