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2011年8月

形式と魂

 こさっぺは小説を書いていた。
 けっこう昔のネタで、サッサと終わらせようと思い、小手先で書いていたのだけど……。

 何か違う。

 と思って、書ききれずに、昔のメモをあさっていると、まあすんごいお宝メモが出てきた。

 それは、もう主人公のキャラになりきっていて、熱い心情を吐露している、しかもあらゆる場面が鮮やかに頭に浮かんでいて、その中を生きた感覚すらある(大げさ)、
 そんな言葉の羅列だった。

 このメモを書いた時は、明らかにキャラが私の中で生きている状態だったのだわっ、と痛感した。
 で、今小手先の形式だけで書ききろうとしていることの、何ておバカなことか、と思い知った。_| ̄|○

 物語を書くときは、小手先の形式・技術とともに、あふれるパッション・魂が不可欠なのね。
 魂がないと、何も書けない。
 やっぱり、物語を書くときは、招魂の儀式shineが必要だと思うの。
 つまり、自分がよりましになって、キャラの魂を呼び寄せて、自分を通して言葉や行動で表現させる。
 と同時に、神とつながる視点をもって、キャラたちや世界をあやつっていく。
 この感覚がある時は、(全てこれでいい!)と確信できるし、上からエネルギーがどんどん流れてきて、疲れるどころか活性化してくる。
 これが神降りてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!現象なんだと思う。
 その時受けた真実に、間違いはない。(表現する時の技術は、間違うかもしれないけどw)
「ただ書け」とはよく言うけど、つまり、
「お前の魂見せてみんかいゴルァ( ゚д゚メ)」って言ったほうがいいかもheart02
 魂さえ見れれば、その人の深さや思想がわかるしね(恐)

 物語の神様は、信じたモン勝ちね。
(ええもう、好きなようにやっちゃってください)と思うと、
(マジで?by神)とばかりに、暴れまわってくれる。

 小手先で、技術的にいくら上手に書けても、
「魂が入っとらん! こんなもん、いくら書いても意味ない」と、宮崎駿監督が息子に言ってたように、
 な~~んにも、描けていないんだなぁと思う。

 まあ、その魂を表現できるだけの、技術も必要なんですケドね。
 むはーヽ(`Д´)ノてにをはコノヤロ!!

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私の戦争疑似体験

 子供の頃、戦争映画が好きだった。
 好きだった、というのは語弊があるかもしれない。
 ただ、大人たちの甘い顔でかくされていた、日本の問題を知る手がかりとして、たくさんの戦争映画を見たのかもしれない。
 『きけ、わだつみの声』や、『203高地』で流れる戦争の歌をおぼえ、
♪海行かば~ み~ず~くか~ば~ね~(水浮く屍)♪ とか、
♪愛は~死にますか~ 山は~死にますか~♪ と小学校低学年の幼声で歌っていた。
 子供心に、
(戦争はいけない!)と思っていた。
 でも中高生になってくると、そう若者に思わせること自体が今の国家の“洗脳”であって、それは戦争時の天皇陛下万歳な“洗脳”と、本質的には同じではないかと思うようになって、戦争映画を見るのをやめた。

 最近になって、久々に戦争映画を見た。
 嵐の二宮くん主演の、『硫黄島からの手紙』。テレビでやってたので。
 今の若者向けの戦争映画だからか、白黒映画時代の、リアルな戦争体験にもとづくグロいエグい実情の描写は、ほぼなかった。
 で、悲惨な戦争場面を見ていて、昔思っていた(戦争はいけない!)というのとは、ちょっと違うな、と思いだした。
 最近歴女になって、戦国時代から幕末、明治、近代の歴史をさぐるうちに、どうも違うな、と。

 日本人がバカ化している。

 それが問題なのだな、と思った。
 戦争の悲惨さを見て、「戦争がダメ」と単純化するのではなくて、
 戦争を支配する首脳陣、指導者たちがダメになっているのだと気づいた。
 そして、日本の指導者たちのバカ殿化は、戦争が終わってからも変わっていない。むしろ進行している……!
 いちばん最近で偉大な指導者たちがいた時代というのは、ヘタしたら明治維新の頃までさかのぼらないといけないんじゃないか。

 でも歴史の中で、バカ殿化していない鋭敏明達な指導者がいる時期というのは、むしろ少ないのだと思う。
 偉大だったはずの指導者たちの2世3世は、平和な時代の中で、バカ殿化していくものだ。その時代がしばらく続いて、腐敗した上に、歴史の転換点でやっと、思考力のある天才的指導者が現れるようになっている気がする。
 もちろん例外的に、偉人や超バカ殿が現れる時もあるが、まあ常に指導者がすばらしい人であるというのは、ありえないことなのだろう。

 こんな潜在的な危機感を、子供の頃の私も察知していたかもしれない。
 映画で戦争を疑似体験(?)し、幼い私は思った。

 こんなバカな指導者たちに支配されていたら、捨てゴマ兵にされるぞ。

 これはとして、意識の底に強く根づいた。
 私はバカの命令にしたがって死にたくないと思った。
 なるなら、最後まで自分の意思を訴えつづけて生き残る、主人公になりたいと思った。
 バカな上官の命令はきかなくてもいい。なぜなら、バカの言うことをきくと死ぬからだ。
 これが私の絶対的防衛本能となった。

 そして、まわりの大人たちが、バカな上官と同じに見えた。
 バカというとキツく聞こえるけど、つまり『思考力がない、上からの命令だけにしたがっていて、まるで自分の考えがない』人間に見えた。
 そういう人間は危険だ。いつバカ殿から“洗脳”を受けて、悲惨な命令を発さないとも限らない。
 そう思った幼少の時点で、私は一般大衆的な思考と、永遠におサラバしてしまったのかもしれない。(もしくは元々持ち合わせていなかったのかも……)

 だから昔から、何も考えていない教師に、バカな上層部から植え付けられた思想で指導されるのは我慢ならず、みんなが言うことをきこうが、1人で反発していた。
 ましてや、バカ殿のいる会社に支配され、使い捨て兵にされるなどというのは愚の骨頂だ。
 もちろん、それに適応できる人というのはすごいと思う。深く考えず、とりあえず上の人の言うことを素直にきいて、平和に生きていこうとする姿は尊敬に値する。幼い日、上層部の人間というものに決定的な疑問を持ってしまった私には、ついぞできなかった生き方だから。私には、優秀な働き蟻様になれる素質はなかった。だからこそ、そんなフツーに生きている人々を、守りたいと思う。

 問題なのは、国の上層部だけでなく、日本人全体がバカ化していることだ。

 それはもう東大出の官僚から、フリーターの若者まで。
 自分で何も考えない人間が、集団発生している。
 彼らの言うことは“洗脳”による一般的な決めつけであって、自分の考えは、ない。
 なぜ誰も気づかないのだろう? または無意識に、気づかないふりをしている方が、平和だと思っているのか。でもその平和は、瓦解寸前だ。
 ただ食べて寝る肉塊になって、バカな上層部の機械になって動いているだけの存在でいいのか?

 そう思い警鐘を鳴らす人間が、社会の中にもう少しいてもいいんじゃないかと思う。
 だから私は常識を疑う。上層部の人間を疑う。集団思考を疑い、現代に息づく“洗脳”を探す。
 だから私は小さい頃から物書きになりたいと思ってきたのかもしれない。

 でも、驚いたことに、作家になりたい人間のなかにも、『何も考えていない』人間がフツーにいる。
 吉田松陰先生の「松下村塾」ならぬ、中山市朗先生の「作劇塾」なる、作家養成を思想(?)とする私塾が、大阪にはある。
 が、塾の講義内容が、
「ナゼおまいらは何も考えておらんのか」
 だったりする。何か感想や質問を求められても、「ない」という人がいる。
「ない」って何!? もう、頭が働いていない、思考停止人間の波が、思想あるはずの作家志望にまで押し寄せているのだ。むしろ、それがフツー。
 いや、集団思想に適応したフツーの人間なら、フツーの社会でフツーに生きていける方が幸せだと思う。が、それもわからないくらい思考停止した人間が大勢「作家になりたい」とフツーに言える、それが現代日本の社会なのだ。
 別にお世話になっている塾の悪口を言いたいわけじゃない。ただ私は、塾の集団思想も全て鵜呑みにはせず、自分で考えた上で、必要なことは十分お世話になりたいと思っているし、それは中山先生もきっとわかってくれるだろうと信じている。

 集団の皆様は憤慨なさるかもしれないが。
 日本人の戦略なき思考は、例えば今の芸能界にも、如実に現れていると思う。

 ジャニーズや、素人アイドルたち。
 彼や彼女たち、実際そんなにステキですか?
 “洗脳”者であるメディアが、あたかもそうであるように仕立てて見せているから、そう思わされているだけじゃないですか?
 これは、戦争時代に「戦争反対!」と叫ぶのと同じぐらい、反発があると思う。
 熱狂的な信奉者にほど、「そんなこと言う奴はブチ殺す!」と思われるだろう。
 でもよく見て。足が短い。顔もどこか崩れている。歌、下手じゃないですか。彼や彼女らがいかにも、「俺(私)ってステキでしょ」と作る笑顔も、白々しいと思いませんか。
 それでもなぜかステキだと思う、それはメディアによる洗脳で、自分で全て納得してそう思ったわけではないのでは? みんながそう言うから、何となく、自分もそう思っておこうかな、という平和的惰性では?

 そんな日本人のロリータ趣味のスキをついて侵略してきたのが、今の韓国アイドルたちだと思う。
 韓国は明らかに日本人をバカにしていると思う。騙す気で来ていると思う。
 足も、長い。顔は、整形で完璧に整えている。歌も、上手い。ついでにダンスも上手い。そして完成された、大人の魅力がある。
 日本は全く、いい市場にされている。日本人は子供扱いで、熱狂的に金を投じるバカだと思われているだろう。
 そうして経済的にも人材的にもどんどん成長して、日本を追い越す気でいることだろう。
 現に某フジテレビは半分韓国にのっとられた状態で、今やメディア全体も韓国びいきだという。その韓国では、嫌日教育が浸透していて、日本はコケにされている。
 そんな韓国にまで“洗脳”されてて、いいのか? 幼稚でバカなままで、本当にいいのか?

 福沢諭吉の『学問のすすめ』や、ドラッガーの『マネジメント』ではないけれど、
 今こそ日本人は、個人の思想をもって、真摯に生きるべきではないのか? がんばっても報われないと思うなら、やれる方法を自分で考えて、実行に移せばいいんじゃないか?
 平和な輪(集団思考)の時代は終わった。これからしばらくは、革命と新たな偉人指導者が出現する時代に入ってほしい。
 バカな指導者が集団を洗脳して日本を壊滅させるような、愚かな歴史を繰り返さないためにも、独立自尊の精神は、持ってしかるべきものだと思う。

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幸村燃え~

 ついに好きな人ができたかも。
 戦国武将の中でheart02(今さらですが)

 この本を読んでたら出てきたのです。
 

逆説の日本史〈12〉近世暁光編 (小学館文庫) 逆説の日本史〈12〉近世暁光編 (小学館文庫)

著者:井沢 元彦
販売元:小学館
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 この作者の歴史シリーズ、最近好きなんだよね。 
 スルドい視線に論理的思考、そして熱い! 熱いんスよ、魂が! 燃える血潮がたぎってるんスよ! 命けずって書いてるんスよ! 
 何が面白いって、小説家らしいドラマチックな書き方がよい。(専門家の本とかだと、盛り上がりなくておもんないじゃん?)

 で、その中の95ページ(細かい)に出てきたのが、

 ■「信繁→幸村」改名に込められた固い決意

 フーン、また真田ワッショイかー。てゆーか幸村って、後世の人に作られた創作の名前でしょ?
 と思って、やや冷めた目線で読んでいたのだけど、

 幸村って名前、本当らしいですね。
 それも、自ら改名したって。

 何でも、「幸」という字は、真田家伝来の名前の字で、お父さんは昌幸、家をついだお兄ちゃんは信幸だったけど、天下分け目の関ヶ原で、東軍についたお兄ちゃんが家伝の「幸」をすてて信「之」に改名したから、
(自分こそは父の遺志と真田の魂を継いで、徳川を倒してやる!)
 とばかりに信繁から「幸」村に改名し、大阪の陣で西軍の将となって、獅子奮迅の戦いをした、という。

 マジですか。
 何て、ロマンを含んだ名前だったの。
 そんな覚悟と、熱い思いを込めて名のっていたなんて。

 いや、本当かどうかはもはや関係ない。(オイ)
 彼が村として存在した、それ自体が、熱いロマンをもつ魂があったという真実なのだもの

 今まではウザいと思っていた。正直、こいつ暑苦しいキャラだな~、と思っていた。
 でも、その思いや心情を知ると、見る目がイッキに変わってくる。対人間になら、誰にでもそうなるのかもしれないけど。

 やっぱ、カッコイイもんはカッコイイね。
 降参します。無条件降伏です。

 やっぱりこの夏、幸村が、熱いsun

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