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2011年7月

マンガ線画

Photo_4   描けた~♪( ^,^ )

 初、Gペンインク絵。

 友達と書いてるリレー小説、『西日本武道高校・異国風土記』の主人公・野上裕也くんです。
 不良忍者少年の、昼下がりをイメージしたイラスト。

 人物はまあまあの出来……。
 建物のパースとか考えてなかったので、『パース塾』の本買って勉強することを決意shine
 あと背景の木が、なんとなくのイメージで描いてしまったので、今度公園に行って木ノ葉をスケッチしてきまふ。

 あとはこれに、SAIで色つけするのみっart
 色彩で光の雰囲気出せるかな。。

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学問よすすめ

NHKでやってる「100分で名著」という番組がおもろい。

今日のテーマは福沢諭吉の『学問のすすめ』

天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、ただ

自分で勉強しねーと誰も上に行けねーけどなっ。

というキビしい精神をといた名著らしい。(全く平等精神じゃないのね)

この番組、ええわ〜。
多分これ一冊読んだら5〜6時間以上かかるだろうけど、100分で「つまりこういう事が言いたいねん」ということを、わかりやすく教えてくれる。

本ばっかり読んでると目が悪くなってくるもんなぁ。

とにかく、諭吉が1万円になったのがよくわかった。

さすが、NHKには他にも名番組が多くて、
「歴史秘話ヒストリア」は歴史人物のドラマを追っていて、その周辺の歴史を知らなくても面白い。
「タイムスクープハンター」は、未来人が過去にタイムスリップするというチャチいSF的なつくりだが、その時代に生きる一般人のくらしがわかる、歴史ドラマ。
「さかのぼり日本史」は地味だけど歴史の勉強になる。
大河ドラマ「江」はいわずもがな。

あと民放では、TBSの
「ザ・今夜はヒストリー」が最近始まり、歴史的なある事件の1日を、お昼のワイドショー的にとりあげて解説してくれる。
あともう終わっちゃったけど、テレ東でやってた
「平家物語の人々」は、平家物語の名シーンを、古典芸能者が朗々と読み上げてくれて良かった。

って歴史モノばっかりだな。
他にもあるんですよ;
NHK「地球ドラマチック」とか「日曜美術館」とか……
NHKの回し者みたいだな。いや、テレビはごはん食べる時に見るくらいですよ、ええ。
たまに感動して見入っちゃうけどね(:_;)

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マンガっぽい絵が描けてきた!

マンガっぽい絵が描けてきた!
修練(?)の甲斐あって、ペンとインクを使って漫画らしき絵が描けるようになってきた!

まだ細かく見るとおかしいとこはあるけど(^_^;)
今の段階では及第点かと。。

おーし、まだまだやるどー☆

ちなみにこのキャラは、友達と書いてたリレー小説に出てくる、パツキン不良少年くんです。

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USJ攻め

Usj_2   
 もはや城攻めでもなんでもない。

 USJ行ってきたんだ~happy01note
 10周年アニバーサリーだよheart04

 元会社のかわいいOLガールズたちとともに(こさっぺは左から2番目)

 いや、何が快挙って、

 ここまで遠出して人ごみの中遊び回っても、まったく疲れなかった!!

 やっと、何でもできるほどの体力が、戻ってきたのさ!

 思えば、会社辞めて療養しはじめてから約半年、長いみちのりであった。。weep

 おっしゃああ!rock
 こっからはやりたいこと、どんどんやったるもんね。

 まあ揺り戻しもあるらしいので焦らず、じっくりまったり療養して、着々と栄養、素養、美容(?)を育んでいくつもりでごわすhorseshine

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日本沈没くらいのレベルで

映画の『日本沈没』みた。

いま見るとタイムリー……。

これだけの危機感ある映画があっても、実際に災害が起こらないと、政府も誰も対策に動きださないんだなぁ。。
創作物で大切な何かを強く訴えたとしても、現実の社会を動かせるような、貢献力なんてないんじゃないか。
そんな傲慢な無力感を感じつつも。。

とにかく! 処理を後手後手に回さずに、常に先手を打たないと。
地球が生きているかぎり、安全神話は“神話”にすぎないんだもの。

とにかく高台へ引っ越すべきか。
はぁぁ。。原発はやく止めて、経済力のあるうちに、自然エネルギー大国にならないかな。

地球と仲良くなるために、なるべくecoに暮らそうclover

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大阪城攻め

大阪城攻め
いってきた!!

我らが地元の、大阪城の内部へ。

日本文化の歴史にひたる…ハズが、
しゃべった相手はなぜか、観光客の外人のおにーさんたちばかりだった。
It's borderless communication(・∀・)

天守閣の頂上は、四方の欄間が展望台になっていて、中には売店や休憩所があった。
その様子はまるで……
通天閣の頂上にある「ビリケンさんの間」とのような、市民の憩いの場のような庶民的な雰囲気が溢れていた。

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いざ作州香々美の地へ~祖先地の歴史にふれる旅

 こさっぺは念願かなって、岡山県は鏡野町へ、先祖の歴史を調べに行くことがきまった。
『おじいちゃんLove!』 『歴女、実家の古文書を紐解く』 参照 )

 最初は去年の夏みたく、ローカル電車での一人旅で行こうと思っていたのだが、
 お母さんにも、おばあちゃんにも、ボケたはずのおじいちゃんにも、
「そりゃ遠いで~」
「半日かかるよ」
「お父さんに車で連れてってもらった方がえいが」(岡山弁)
 と言われたので、去年の夏の、
(人の助けがなければ、旅はできない)
 という教訓を思い出し、おばあちゃんの入れ知恵(「墓参りに行きたい~とか上手いこと言ったらえいが」)どおり、そうすることにした。

 お父さんにも、おじいちゃんの弟さん(岡山在住)にも頼んでみると、驚くほどトントン拍子に軽快な了承を得て、すぐ次の休日に行けることになった。

   
 と、行く前に、古文書の入っていた箱の中を、もう一度調べてみると……

110705_192107_2    

 なんと! 古文書と、先祖の歴史を調べたらしきノートを発見!

 あとでお父さんにきくと、これはおじいちゃんが書いたものらしい。

 ノートの表紙には、

『 小坂家の歴史 感状集その他 ① 』

 と書かれた紙が貼ってある。

    

 中を開いてみると……  

110705_192236_2

   

   

   

   

   

   

   

 おお!
 うちに伝わる古文書の内容と、その時代の一般的な歴史が、あわせてビッシリと書いてある。

 ノートの縦軸には、その時代の南北朝の将軍まで、くわしく書きこんである。

 あたしより先に、あたしが調べたいことを、おじいちゃんが全部調べていた!(*゚∀゚*)ウレシイ.。.:**:.。..。

 なんだ、もっと早くこれを見つけていたら、あんなめんどくさい古文書読解をしなくてすんだのに。。

 と思ったら、ノートの最後の方に、  

110705_192517_2   

 ん?

 株の値動きか? と思ったら、

   

 どうやら、教え子の、就職先を一覧表にしているらしい。
(おじいちゃんは元高校教師)

   

 OJI~CHA~~~N!shock
                  なにやってんの!

     

   
 さらに後ろをめくってみると、
  110705_192724_2

   

 ほかの先生と一緒に書いたらしい、
 情報処理教育に関する論文が、つらつらと書かれている。

   

   

 チョットチョット、これ 『 小坂家の歴史 第1巻 』 のノートじゃなかったの?

   

 最後飽きたんかな?(笑)

   

 いやいや、このノートの第2巻は、あたしが引き継いでみせる……ハズ。

   

 そんなわけで、このノートと古文書コピーを持って、いざおじいちゃんの故郷へ出発!
 兵庫県は龍野のほうから高速に乗って、途中播州塩味まんじゅうのおみやげを買って、岡山の山奥へ入る。

 小さい頃に一度墓参りに来たきりで、ほとんど覚えていないが、田畑の広がる山里は、思い描いたとおりのステキな田舎だった。
 ザ・日本の田舎らしく、由緒ある小さな遺跡や、昔からの言い伝えが眠っていそうだ。

 大きな家が連なっている前へ車を降りると、玄関先に、人のよさそうなおじいさんがポンと立っていた。
 ひと目みてわかった。この人が、おじいちゃんの弟さんだ。
「こんにちは~~heart04ありがとうございます~」
 あたたかい歓迎に、感激して近づいてみると、なんと、お顔がおじいちゃんにそっくり!(弟だから当たり前だけど)
 ほわほわ優しい笑顔の奥さんにも、ちゃんとお土産のまんじゅうを渡して、だだっ広いお宅の中に、お邪魔する。

 田舎の旧家らしい和室を抜けて、仏間にとおしてもらう。
 落ち着きのある室内には、私に見せるために用意したらしい資料や冊子が、そこここに置かれていた。
 目の前に座った弟さんに、私は興奮した。
 大好きなおじいちゃんにそっくりだ。元気になったおじいちゃんに、ふれあえているような気がして、とてもうれしかった。

 はじめて会った気がしない親近感もあって、私と弟さんはさっそく意気投合し、古文書の読解をはじめた。
 弟さんの奥さんと、うちのお父さんは、ちょっと所在なげに世間話をしつつ、遠巻きに待っていてくれた。
「なんでまたこんなことに興味を?」
 ときかれると、
「歴女ですから、最近流行ってるんです」
 というと、一言で説明できるのでラクである。(変人ではないという、ちょっとした免罪符になる。ああ、歴女になってよかった!)
 私ももっと2人をかまいたいのだけど、なにせ帰るまでに時間がないので、弟さんに、どんどん、読み方や意味のわからないところをきいていった。
「で、この家系図はどこまでホンマなんですか?」
 というようなスルドい質問にも、
「これはねぇ、結構信憑性のある資料だよ」
 と、弟さんは、おおらかに逐一答えてくれた。

「なんでこ(んな山奥)の土地に来たんですかねぇ?」
 ときくと、公式資料にはない地域伝承の話(こういうのを聞きたかったのよ!)を教えてくれた。
 何でも、先祖の中でもやんちゃな若侍だった「孫三郎」さんが、京都で刃傷沙汰をおこしたらしい。
 戦国時代の終わり頃、16歳の孫三郎くんは、京都の曲直瀬道三(まなせどうさん)という医者の塾で、お勉強をしていた。
(幕末でいう適塾みたいなとこ。ちなみに適塾は、今も大阪の北浜金融街の近くにあって、夏になると建物から霧を噴射し、道行く会社員たちに涼を発している)
 が、そこで同じ塾生とケンカになり、血気にはやる孫三郎くんは、相手をブッタ斬ってしまった。
 武士のケンカは両成敗、相手を殺してしまったからには、孫三郎くんも切腹しなければならない。
 が、まだ16歳だからかわいそう、という話になり、東京の方で謹慎(つまり引き篭もり暮らす)になる。
 そこへ、同じ宇喜多秀家の家臣で、同じ塾出身の友達だった小瀬秀正くん(のちの『太閤記』作者)が、孫三郎を引きぬいて、自分の領地の近くの山奥に、ひっそり連れ帰ってくれたという。
 だからこんな山奥で、薬屋をひらいて代々住みついたのだそうだ。

 この話↑のミソは、岡山県鏡町にある日上山の城主だった、小瀬秀正さんが、『太閤記』を書いた小瀬甫庵と同一人物だよ、ということだ。
 それを証明するために、おじいちゃんの弟さんはマンガまで描いたという。(マンガ!?)
 だが、地元の名士たちと調べ上げたこの事実も、お役所に持っていくと、
「違います」
 とアッサリ却下されてしまったそうな。
 でも、地元の伝承や、家伝の古文書の中には、『資料至上主義』の歴史学者たちが知り得ない、真実もふくまれているのではないか。と、思ったりする。
 こういう情報は、実は結構貴重なんじゃないだろうか。

   
 さて、おじいちゃんの弟さんは、お話だけではなくて、戦国時代から本家に伝わる、家計図と古文書の原本をもってきてくれた。
 この時代の文書は、細長い木箱に入れられている。

   P1000061
   
 中には、しおしおになった、やわくて薄い紙の冊子が、2ツ折りで入れられていた。

   P1000055
   
 それら貴重な資料を、手にとって見てみるが。。  

 P1000092    

 よ、読めないッ!sweat01

 達筆すぎて、ミミズののたくったような草書体だった。。
 だが、弟さんは何でもないことのように、それをすべて読み上げていった……!

 なんと、弟さんは現在、古文書の読み方を教える先生をしているらしい。
 思わず尊敬のまなざしを向けた……。
 たぶん、そうとう地元の歴史が好きで、趣味が高じたのだろう。なんと元気な82歳だ。最近歴女になった私より、大、大、大先輩の、歴男である。
 それだけでなく、マンガも描いたというのだから驚きである。
「マンガ!?shine私もマンガ描くんですっ!」
 と伝えると、弟さんは重い腰をわざわざ上げて、奥の部屋から力作をもってきてくれた。
 それは少し古い紙で、ホッチキスで冊子状にとじた、表紙つきの白黒マンガだった。   

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                        ば、ばーん

 中をひらいてみると、      
         

P1020004_4

 ……すさまじい、これは、根性がなければ描けない。
 絵や話は、上手くは…決して上手くはないが、熱意と頑張りと、歴史を好きな気持ちは、ものすごく伝わってくる。
 弟さんはテレ笑いしながら、
「じゃあこの続きは、引き継いで描いとくれ」
 と言って、そのマンガと、描くために見た資料をくれた。
 ほかにも、古文書を書き下し文にした冊子や、地方の歴史を調べた文集、他家の古文書の写しや、草書体の横に現代文字を書き込んだ冊子までくれた。
 最後の冊子は、奥さんいわく、
「昨日の夜おそ~うまで、何か一所懸命書きこんどるな~と、思いよったんよ」
 とのことで、今日来る私のために、わかりやすい資料を作ってくれていたらしい。
 なんてありがたい。
 できればもう、弟さんのすべての知識を、引き継ぎたいくらいの気持ちだった。
 私は本家の人間ではない(本家には、弟さんの息子さんがちゃんといる)、分家のおなごなので、残念ながら土地や財産は引き継げないが、この記憶や魂は、受け就いていきたいと思った。(ちなみに息子さんは、歴史にまったく興味がないらしい。。残念bearing
    P1000085
           最後に、一緒に写真までとる(旧家屋の井戸前にて)
 
 まさかこんなフィーリングの合う人が、血縁者にいたとは!
 今までまったく会えずにいたのが、不思議なくらいだ。
 弟さんは、
「仏さんのお導きじゃー」
 と、鷹揚に言っていた。
 うんうん、きっと世の中、会うべき時に、会うべき人に会えるようになってるんだ。きっとそのはず……と、思いこむことにした。

 やっぱり、歴史はおもしろい!
 調べるほどに奥深い。
 親の親のそのまた親たちが、確かにその時代を生き抜いて、つないでくれた血の重さを感じる。まさしく競争馬と同じ、血のロマンである。
 昔の人たちが、時に間違い、時に栄華をきわめ、時に恥辱に耐え、時に戦場に倒れ、それでも愛情を育んで、懸命な生を積み重ねてきてくれたから、今があるのだ。
 いただいた命を大切に、私も自分の人生を、せいいっぱい生き抜こうと思った。
 とりあえず今は、歴女になってnotes

                                 born this way ~ (*^∀^*)

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おじいちゃんLove!

 こさっぺはおじいちゃんが大好きである。

 おじいちゃんというのは、父方の祖父で、岡山に住んでいた、私のおじいちゃんだ。
 さいきんは老後を考えて(笑)、おばあちゃんと一緒に、うちの実家の近くに越してきた。

 そのおじいちゃんがボケてしまって、もうかなり弱っているらしい。

 そう聞いてはいたものの、家族関係の、嫁姑や介護の大変なところに、首をつっこむのがためらわれて、長くおじいちゃんに会いに行けずにいた。

 しかし、ひょんなことから、おじいちゃんの夢を見た。
 昔の大好きなおじいちゃんのままで、すぐ側にいてくれていたような、感覚の残る夢だった。
 目覚めたとき、ふと思った。
 このまま大阪で、何でもない生活を送って、何年も会わずにいたら、おじいちゃんは知らないうちに、いってしまうんじゃないか。
 あたしは大好きなおじいちゃんに、もう会えないんじゃないか。

 そんな恐怖におそわれて、
(これは会いに行かんといけん)←やや岡山弁
 と、夜闇の中飛び起きたまま、やたら決意があふれてきた。
 そんなわけで次の月、実家へ帰ったときに、おじいちゃんに会いにいったのだ。

      

 おじいちゃんは、かなりのイケメンである。
 あれほどイケてるメンズを、私はいまだかつて見たことがない。(今はボケているが)
 なんせ子供心に、はじめて母親以上に好きになった人が、おじいちゃんなのだ。

 おじいちゃんは、穏やかな人だった。
 ピアノやバイオリンを弾けるなど、どことなく品がある。
 昔、子供用のバイオリンを、わざわざ私に貸してくれたが、残念ながら私には楽器の才能がなかった。。が、そんな時もハハハ、と笑って、
「ええ、ええ」
 と、押しつけるでもなく、優しくおさめてくれた。
 子供心にも、教養と知恵と、なにより聡明な人格に魅了されていた。
 今から思えば、上人とか聖仙とかジェダイマスターというのは、まさしくこういう人のことをいうのではないか。
 とにかく、第一級の知識人であることには、間違いない。

 おじいちゃんは高校教師(社会科や、コンピューターのプログラミングの先生)だったが、おばあちゃんも銀行員(中国銀行)などで働いていたため、結構蓄財していたらしい。
 家はでっかくて豪華で、常にキレイでピカピカにしていた。なかなかのお金持ちっぷりである。
 まだ教習所がない時代に、警察署で免許をとっていて、カーナビ付きの6人乗りの車を持っていた。

 その車に乗せてもらった時、幼い私は初めて『カーナビ』というものを見たのだが、おじいちゃんは、
「これはアメリカ軍が戦争のために、衛星で日本の道路のデータを発信しとるのを、わしらがカーナビのデータとして受信しとるんじゃ」
 と教えてくれた。
 おじいちゃんの中で、まだ戦争の記憶が強いことを感じた。

 おじいちゃんは大学生の頃、“学徒出陣”で、第二次世界大戦に行った人だ。
 上手いこと上層部にもぐりこめた(父親が警察だったからか?)ことと、戦争も終盤にさしかかっていたため、生きて帰ってくることができた。
 一度、太平洋戦争で使った、日本軍の刀を持たせてもらう機会があったのだが、
 真剣は以外に短くて、かつ重くて、グリップは握りやすかった。
 まさしく、人斬り“包丁”という感触だった。
 日本軍の桜マークのかざりが、刀の随所にあって、たしかな歴史と、生き抜いてきた人の強い意志を感じた。

 そんな戦中を生きたおじいちゃんも、引退後は遠出の散歩やビデオ編集やクラシック音楽を趣味に、穏やかに暮らしていた。
 私も一緒に遊んでもらった時は、
 岡山の家の前にあった、深い緑の谷が広がる公園に、一緒にお散歩に連れていってもらったり、
 家族ぐるみで遊びに行った先で撮った映像を、ビデオ編集(タイトル、解説文字つき)したテープでもらったり、
 おじいちゃんの部屋で、クラシックCD全集の中から、気に入った曲をテープに録音してもらったりした。
 今考えると、遠出の散歩やビデオ編集やクラシック音楽も、全部今の私の趣味になっているから不思議だ。

 そして、私が大学生になるころからか、おじいちゃんは体調が衰えたと言うようになった。
 おじいちゃん(と私)は武家の家系で、祖先は敏達天皇という天皇までたどれるらしく、私が通いだした大阪芸大の近くに、その祖先の古墳があるからと、
「ほんまは一緒に見に行きたいんじゃけどなぁ、ちょっと体調が悪いんじゃ」
 と言っていた。
 その前までは、先祖ゆかりの地に、時には遠く長野県の方まで車をとばして、元気に調べにいっていたらしい。
 大学生になりたての私はまだ、先祖が武家や天皇なんて、まゆつばものだろうと思っていたから、大して強く共感して受け止めていなかった。
 後に、大学卒業間近になってから、大学の真横にあった敏達天皇の御陵に、卒業祈願(?)にいくなど、1人で敏達天皇時代あたりの、蘇我氏や聖徳太子なんかの歴史を調べることになる。
 その時、
(子供の頃、音楽と美術しかない学校に行きたいと思ったことがあったし、先祖の墓がこんなに近くにあるということは、これはもう大阪芸大に来ることは昔から決まってたんやな)
 と、しみじみ思ったりした。

   

 そんなこんなで、おじいちゃんに会おうと実家に帰ってきたところ、おじいちゃんはもはや、病院に入っていることが判明した。会いたいと言うと、家族には、
「おじいちゃん、もうあんたが誰かわからんで」
「行っても、どっかの他人のお姉さんやと思われるで」
 とさんざん言われたが、
(いや、いける)
 と、私には強い決意があった。
 おじいちゃんに会わなければいけないし、心が通じると信じて、万感をこめて話せば、何かが通じて、必ずわかってくれるはずだ。
 そう確信して、お母さん、おばあちゃんと共に車に乗り込んで、おじいちゃんのいる病院へ向かった。

 車椅子で出てきたおじいちゃんは、昔よりか細くなっていた。
 でも私は、話したかったことが溢れ、病院移動する車の中で、矢継ぎ早にハイテンションで話し出してしまった。
 おじいちゃんは、私のことを覚えていた。わかっていた。
 昔、CD全集をよくテープに録音してもらったことや、
 そのCD全集を私が子供の頃、
「わしがおらんくなったらこれ全部あげるわ」
 と約束してくれたこと……までは覚えていなかったが(笑)、その場でおばあちゃんの許可が出て、貰い受けることになった。
 あと最近になって、先祖の歴史を調べだしたことも理解してくれたし、
 本当はおじいちゃんと一緒に調べに行きたかったことや、初めてお母さんより好きになった人がおじいちゃんだと告白したら、とても喜んでくれた。
 やっぱり心をこめて話したら通じるんだ。わかってくれたことがうれしかった。

 その後、検査に入ったおじいちゃんは疲れてしまったらしく、朦朧として出てきたが、手足の血色が悪くなったおじいちゃんに、
「パンとお茶がたべたい」
 と言われて、駅前までパンを買いに走ったり、腫れて血色の悪くなった手を握りつづけたり、車椅子を押して車まで運んだりして、病院から出ている間、最後まで付き添うことができた。

 そうして、おばあちゃん家で念願のCD全集を棚ごともらって帰った後、私はふたたび、我が家に伝わる古文書を紐解いた。
 おじいちゃんも調べていた我が家の歴史を、一番くわしく知っているのは、おじいちゃんの弟にあたる人らしい。
 今も、岡山の本拠地で、旧家をかまえて暮らしているという。
 私はおばあちゃんにたのんで、その人に連絡してもらい、
「あの、お兄さんの孫ですけど、最近ウチの歴史に興味が出てきまして、教えてもらいたいんで、次の休みの日にお宅まで聞きにいってもいいですか? あ、もちろん墓参りもかねて……」
 と言うと、喜んで快諾してくれた。

 私は晴れて、我が本籍のある、おじいちゃん生誕の地へ、旅に出ることが決まった。

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