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2011年6月

歴女、実家の古文書を紐解く

 晴れて歴女となったこさっぺは、実家に眠っている古文書に、興味をもちはじめた。

 一般に発売されている歴史本を読むのも楽しいが、
 何百年も前に実際に書かれた、墨のにじむ書物を調べるほうが、より本当に、その時代を生きてきた人の息遣いや思いを、知ることができる。
 それが自分の祖先なら、より身近に感じられるというものだ。

   
 そんなわけで、家系図の巻物を、文字通り紐解き、昔の先祖たちの名前をたどってみた。
 おじいちゃんLove!の項でも書いたが、我が家は武家の家系で、先祖は天皇までつながっている。ちなみにこさっぺの苗字は、実は「小坂」である。
 戦国時代には、備前美作(岡山県)の大名、宇喜多直家の家臣だった。
 南北朝時代には、「長野」という苗字で、足利尊氏側についていた。
 それ以前は「橘」氏という公家で、系図をさかのぼると、清少納言の夫の弟(橘則隆)や、藤原不比等とデキて光明皇后を産んだ県犬養三千代の元夫(美努王)なんかがいて、
 最後、敏達天皇にたどりつく、らしい。

 と、見ていた家系図の巻物のほかに、同じ保存箱の中には、なにやら古文書をコピーしたらしい冊子や巻物が、一緒に入っていた。

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 『古戦場集』

   

 かなり物騒なタイトルである。

   

 中を見てみると、かなり古い文字に、“お家書き”という漢文体で、よ、読みにくい!

 が、同じく歴史好きなお母さんの力も借りて、2人で何とか読み解いていくと、どうやら戦国時代の書物であることがわかった。
 それも、我が家の先祖にして、英雄として語り継がれている、「小坂与三郎」の、血しぶくような戦場での武功の記録であった。
 書物の内容は、かなりドラマティックで、まるで大河ドラマのようであった。

 小坂「与三郎」というのは、代々家を継いだものが名乗る名前で、本名はその下に、小坂与三郎「家利」とか「家房」とかついている。なので、長男だろうが問答無用で「与三郎」である。
 というのも、初代小坂与三郎は18歳の時、敵の「原与三郎」という男を討ち取って、当時の主君・浦上宗景に、褒美と感謝状をもらったらしい。どうやらその時以降から、小坂「与三郎」の名前が世襲になったようだ。ヤマトヲグナが、クマソタケルを討ち取ってからヤマトタケルに改名したようなものか。

 戦国の世に生きた武将、小坂与三郎家房shineさんは、忠義にあつく、かなり武勇にすぐれた武将だったらしい。
 どちらかというと武骨な武断派で、調略や損得勘定は不得手だったそうな……。
 城代家老として、2~300人の部下をしたがえており、
 ある時は時の声をあげ、
 ある時は首級をあげ、
 敵を挟み撃ちにして乱闘し、
 敵将に変装して敵陣突破し、
 敵将を馬上から射落とし、
 敵襲に急いで、下半身下着のまま城から飛び出し、
 押し寄せる敵兵をことごとく追い散らし、
 たまには毛利勢の敵を味方にひきこみ、
 そいつが離反して、元領地の石高を着服していたら夜討ちし、
 敵を討ち捕り、その首を捕り、首を捕り、首を捕るなど……
 その活躍は「所々合戦ニモ武功誉アリ褒美感状賜ルナリ」と、主君に褒められて、数多くの感謝状をもらっている。
 が、その感謝状が現在、1通も残っていないのは、
「わしこんな偉いもんもらってんで」
 と、縁者に自慢がてら、全部あげてしまうかららしい。。

 しかし、この戦国を生き抜いた武将、与三郎家房さん以前の、室町時代の祖先たちは、
 (知家さん)上洛して官位をもらうも、京都四条の戦場で討ち死に
 (家成さん)和泉で戦い、痛手にて病死
 (吉昭さん)応仁の乱で、三好一族とともに戦死
 (家章さん)京都三条の合戦で討ち死に
        ・
        ・
 など、    ・
 みんな「戦場において討ち死に」している。
 まさに、「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」である。
 私の体を形作っている先祖の血肉は、なんと血塗られた、戦いの果てに勝ち取ってきた命なのだろう。

 また古文書には、あの、戦国下克上大名として悪名高い、我が家の主君・宇喜多直家さんも、ドラマティックな英雄として登場する。
 当時は、浮田直家といったそうだ。(たぶん、苗字が「浮いてる田んぼ」じゃカッコ悪いから、「宇喜多」という漢字に変えたのだろう)

 時は戦国のはじめ、永禄元年。
 赤松宗景から、氏を改め浦上宗景と号した大名の家老には、嶋村観阿弥、浮田左京、花房越後守、浮田菅兵衛、小坂弥三郎(初代与三郎の父)などなどがいた。
 が、同じ家老仲間の嶋村観阿弥と浮田左京は、仲が悪く、ケンカをして嶋村が浮田を殺してしまった!
 その時、浮田の子供は1歳で、母親の懐に入れられて、なんとか生きて逃げのびる。
 落ちのびた先では、母親が奉公に出て、子供も18歳まで成長した。母と同じ伊予守のところへ仕えることになり、名前を「浮田直家」というようになった。
 この直家、武力もなかなかのもので、数々の合戦で活躍。ついには、父のかたきである、嶋村観阿弥を討ち取った!
 よく生きのびて、ここまでこれたものだ。(ちなみに公式文書では、祖父のかたきをとった、となっているが、うちの古文書では父となっている。多分、心では父親のように思っていたのかも)
 その後、元の主君・浦上宗景に仕えることになった直家は、さらなる下克上をめざした。
 浦上家中を2分して自分の勢力をつくり、主君だった浦上を倒してしまった。
 この時、最後まで浦上方に味方していた小坂与三郎は、負けたので謹慎していたが、武功を見込まれて浮田の家臣に引き抜かれたという、プチエピソードもある。
 そんな内乱の後、浦上宗景の子供が、幼くして死んでしまう。それによって、浮田直家が跡を継ぐ形になったが、これは一説には、謀反とも言う。(←と、ちゃんと古文書に書いている)
 そうして、戦場で武勇伝、武勇伝を重ね、同卿の三村氏を下し、安芸の毛利氏の兵を寝返らせるのに小坂与三郎を使ったり、息子の秀家の代になって朝鮮出兵したり(もちろん、小坂与三郎武功あり)、関が原において消滅するまでが、切々と描かれているのだ。
 

 また、古文書に登場する武将には、愉快な名前(失礼)も多く、
 敵の、安藤宇吉(ウキチ)さん、江見牛之助(うしのすけ)さん、taurus
 身内の、又太郎さん(マタ…)、久左衛門(くさえもん)さん、
 直接の主君である、浮田菅兵衛さん(黒田官兵衛とは別人だけど、もろかぶり)
 中でも同じ家老仲間の、花房助兵衛さんは、最高のお名前である! スケベーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 そして、この冊子の最後には、関が原の合戦後、宇喜多秀家に代わって岡山入りした、徳川家臣・森忠政によって、
「先祖の系図や、感謝状折り紙(折り紙つきとはまさにこのこと)、この『古戦場集』をあげるから、子孫代々受け継ぐようにね」
 と、小坂家子孫へのお手紙を『古戦場集』の巻末につけて、与三郎に渡しているのだ。
 家宝にせよ、大変なプレゼントだぞ、と。
 しかし、だ。
 この家宝のかわりに、武士の身分は召し上げられ、美作の地は、森忠政が他の土地から連れてきた、1000人もの家臣で支配されてしまったのだ。
 元・宇喜多の家臣たちは、元の身分に応じてそこそこの家禄や下人はつけたものの、大庄屋や中庄屋として、身分は全員「農民」にされてしまった。
 土佐藩などでは、徳川家臣・山内一豊が入ってきて、元長曾我部の家臣たちは「卿士」として武士の身分でいられたが、そのあたりの支配の仕方は、地方によってまちまちだったようだ。

 そうやって、この家系図や古文書は、“武士の証明”として、我が家の本籍の地に保存されていたのだった。
 身分とひきかえとは、ずいぶん高い家宝だが、まあ幕末には武士もいなくなったし、早めに医術修行や兼業農家で生きる力をつけられたし、盛者必衰の世の中、小坂与三郎という輝かしい武者が先祖にいたというだけでも、良かったんじゃないかと思った次第ナリ。

   

 こうして一応は読み終えた、我が家の古文書だったが、やっぱり読解するのは大変で、間違っているところも多かった。
「立野(現在の姫路市龍野)に於いて死す」
 というところを間違って、
「野たれ死ぬ」
 と訳していたり(失礼)、わからない旧字や地名もたくさんあった。

 やはりこれは、詳しい人に真相をきくのが一番だ。
 公的記録にはない、その地独自の言い伝えや、定説があるかもしれない。
 家族がそろって、「詳しい人」だと認めている、おじいちゃんの弟さん。
 会ったことはないが、今の私の趣味なら、ばっちり通じ合える気がする。

 そんなわけで、敏達天皇より数えて45代目かも(?)&小坂氏18代目たる、今侍魂に満ちあふれる私は、岡山まで旅立つことを、心に決めたのだ。

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関西おっさんず

 実家に帰ってたまたま、地元のケーブルテレビ見てたら、めっちゃおもろい歌見つけた!note

 関西の各県の鳥が、なぜかおっさんになって出てくる。

 近畿ケーブルテレビ連盟が作ったらしい。「三関王」とゆう、地方番組のエンディングテーマで流れてた。

   

必死のパッチのうた

http://www.youtube.com/watch?v=mvHW4K2XI6I

   

 そういえばOL時代、大阪にこんなおっさんらおったわ~chickオッサンズー♪

 個人的には、明石焼が出てきたのが、播州出身者としてはよし。

 あと鳥が、パソコンソフトの荒っぽい線で描いてあるところもよかったw

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ヅラ小太郎

 アニメ「銀魂」の映画、『新訳紅桜篇』をみた。

 バクチダンサー♪バクチダンサー♪ 

    

Photo

 桂小太郎カッコヨすなあ。  (*^∀^*)エエ声~♫ 

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歴女デビュー!

 ついに、ついに歴女デビューしました!

 そう言うと、
「前から歴女だったじゃん」
 とみんなに言われるのだけど、さにあらず。

 歴女とは……
 今若い女性の間でブームになっている、戦国時代とか幕末の英雄にキャアキャアいう、ちょっとアブない乙女たちのことなのだっ!
 今流行っている歴女ブームというのは、TVゲームの「戦国BASARA」とか「薄桜鬼」(新撰組もの)とかをやって、男同士の恋に妄想を抱く乙女たちの、熱狂的なオタクパワーが大きな源になっている、らしい。
 というのを、さいきん日本橋の電器屋街にある[オタロード]とやらを徘徊してみて知った。

 なので、あえて王道の「BASARA」「薄桜鬼」というゲームには手を出さず、より歴史に忠実(?)な、「戦国無双」「幕末恋華・新撰組」のゲームをプレイし、同時にその時代の文献を読むことで、戦国時代や幕末の面白さに手を出してみた。
 つまり、若い女の子の流行に乗ってみちゃったnoteのさ☆

 今までこさっぺは、古代から平安時代までには興味があったけど、武士が出てきてからの時代は、戦いばっかで少年マンガっぽすぎて、情緒もないし全然おもんない。
 と思っていた。
 いやしかし、私は間違っていた。。
 歴史の勇者たちを知ることで、こんなにも世の中に、楽しめる作品が増えるなんて!
 今までオジンくさいと思っていた司馬遼太郎の本や、黒澤明の映画も、
 めんどくさくて見てなかったNHKの大河ドラマも、
 『源氏物語』は好きなかたわら、足蹴にしていた『平家物語』も、
 実は古代まで起源をさかのぼれる、忍者モノなんかも、
 世の中に、楽しめる作品がうーー~んと増えたのだ。

 しかし、好きな武将同士をくっつけて妄想するという、BL(おホモだち)好きの素養は、私にはとんとなかった為、その深遠までたどりついて楽しむことは、残念ながらできないでいる。(まあ、どうしても必要なら、ホモ話も描けるけどね)

   

 そんな歴女の登竜門をくぐらせてくれた、記念的な作品、
        『戦国BASARA』(アニメ版) の映画 を、
 水曜日のレディースデーに、歴女として見にいくことに、ついに成功したッ!

 そう、今までは、隠れ歴女として生きてきたけど、これからは違う。
 だって今や歴女は、社会の表舞台に立っているんだもの!
 このアニメをわざわざ劇場まで見にいって初めて、歴女に公式デビューするのよ!rock

 と意気込んで、平日のお昼に、ルンルン見にいった。(ちなみに芸大卒の女子で、映画を1人で見にいけることはデフォルトである)

 劇場に足をはこんでみると、場内は若い女の子たちで溢れていた。
 平日の、昼間だったにもかかわらず、だ。
 ぞくぞく集まってくる歴女たちの顔を見ようと、自分の座わった席から、後ろを見わたすと……

 人、多っ!

 座席はみごとに、若い女の子たちでビッシリ埋まっていた。上のほうの端の席まで、すき間なく、女子が詰まっている。
 今まで見にきた映画館で、こんなに人が多いのを見たことがなかった。早めにチケット買っといて正解だった。

 これが歴女たち……!
 顔や服装は意外と普通な、若い女の子たちの集団。こんな平日に、いったいどこから湧いて出たんだ(笑)
 みょうな熱気にあふれていて、ほのかにオタクな香りがする……。私もこの人たちの仲間に入るのねっ、と感無量だった。

 劇場では、参加者(?)全員プレゼントのステッカーがもらえたり、本編が始まる前に、アニメキャラクターによる映画視聴ルール説明があったり、アニメのストーリーダイジェストまであったりした。
 そんな中、キャラのセリフひとつひとつに、まわりの女子からキャハキャハ笑い声が上がる……。
 奇妙な空間の中で、
(うん、日本の女の子たちは元気だ)
 と思いながら、みんなから溢れる熱意とひとつになって、映画を鑑賞できた。

 見ていると、やっぱりギャグアニメだし、本多忠勝はガンダムで出てくるし、プロダクションI.Gが制作したアニメーションは美麗だし、ラストの足軽ダンスは進化してるし、
 間違いなく、これは歴女ブームの一時代をつくった作品だなぁと思った。
 歴史のハチャメチャな脚色に、叫びまくる声優も頑張っていた。
 何はともあれ、戦国モノに、これだけの乙女を動員した功績はすばらしい。

 最後に、エンディングテーマはもちろん、T.M.Revolution.の「FLAGS」
 
http://www.youtube.com/watch?v=eC8ZUq6fqH8&feature=related
 (このバックダンサーの踊りを、足軽たちがやっていた)

 映画が終わって光がついたとたん、ガールズたちの笑い声がわきおこったのも、何ともいえず痛快だった。

   

 さて、ストーリーについて、歴女的視点では……(ここから下はネタバレかもよ)

 関ヶ原という大決戦場において、日食がおこり、信長の怨霊が最強ラスボスとして出てくるあたりが、最近読んだ逆説の日本史〈1〉古代黎明編という本にあるとおり、
 日本神話におけるアマテラス太陽神の“天の岩戸がくれ”や、日本人の、怨霊をもっとも恐れる信仰に通じており、
 最後に怨霊信長をたおして、太陽があらわれ、その下で仲間たちが輪になって寝ころんで“大団円”というラストには、
 日本人の日輪(太陽)信仰や、“和(輪)をもって貴しとなす”精神が、色濃く反映されているなぁ、と実感した。

 あと、伊達政宗と真田幸村の、宿命の対決の場面を見ていると、
 小学校の時、運動会の騎馬戦で、馬を組みながら見ていた、大将同士のぶつかりあいを見ているような、
(ウチの大将の方が強いんだ!)
 みたいな熱い気分になって、今更ながら、
(運動会の騎馬戦って、戦国合戦の戦いをまねてたんだなぁ)
 と思ったりした。

   

 やっぱり歴史を学ぶのはおもしろい!
 血のつながった祖先たちの、血塗られた頑張りがあってこその、今の私たちなんだと痛感できる。
 これからももっともっと、歴史や文化の宝を掘りおこしていきたい。
 もちろん、今流行の、きらめく歴女としてshineheart01

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