« 羞恥心 よりも 好奇心 | トップページ | レズる。~女の子のヒ・ミ・ツ »

実は初投稿 ~短編小説新人賞

 ちょっと前のことになるんだけど、以前書いていた話を改編して、ついに小説誌に 「初 投 稿」した!
 このブログにものせてある作品、『こひの錦』です。
 もちろん、投稿先は憧れのコバルトheart 上手くいけば、発表は11月号での予定。
 出すからには、本気で 賞 獲 り に行くでしょう! まあ、もう一歩賞でも、誌上に名前と作品名は載るし。
 ついに“公”の場デビュー(と、自分では思っている)。楽しみやわぁ+

 で、投稿にあたって、色んな人に読んでもらった感想を参考に、手直ししてみた。細かい修正に時間をかけて、長さも、20枚から30枚に容量アップ。
 文字の色変わってるとこが、特に付け足したシーンです。

―――――――――――――――――――――――――――――――

   

   こひの錦

   
お香様へ
 こうやって貴女様に手紙を書くのは、初めてになりますね。私は最後に、貴女様に伝えなければならない事があります。
 この度は、正式なるご婚約、誠におめでとうございます。これで菅野(すがの)家も、武家としてのご威光を取り戻されるでしょう。
 私は消えます。今日までのご恩、何と感謝を表せばいいのかわかりません。
 奥様と旦那様には、記憶が戻ったので出て行ったと、どうかお伝え下さい。貴女様の幸せを、心より、お祈りしています。
                 将ノ助

          *

 まどろむような蝋燭(ろうそく)の明かりが、畳の上で揺れている。その前でひざをつき、広げた手紙の――まだ乾かぬ、濃い墨の文字が、震えていた。わたしが将ノ助に、書き方を教えた、文字。
 わたしは手紙を握りつぶして、跳ね飛ぶように身をひるがえし、畳を強く蹴って走りだした。
 力のかぎり襖(ふすま)を開ける。かん高い音をならして、乾燥した木が打ちつけるのを後方に聞きながら、次の間を駆け抜ける。水竜の描かれた古い飾り襖を開く。広い客間を一気に突き抜けた。外の夕陽をうつす障子戸を引き、縁側の古い板を蹴って、庭園へ飛び出した。
「姫さま!」
 うしろから、縁側にすわって叫ぶ下女の声が追いかけてきた。
 かまわず前を向き、走り出した。後ろで束ねた長い髪が、首や小袖(こそで)にまとわりつく。絹の着物の胸前は乱れ、はだけ崩れていた。草履(ぞうり)などはいている時間はない。裸足で、草が葦ほどにのびた、青くさい庭園をかき分けて進む。池の脇に積まれた苔むした岩を、滑らぬように越えていく。
 まっすぐに向かっている将ノ助のことを、わたしは考えていた。
 将ノ助に初めて出会ったのは、湖岸の草原だった。わたしは屋敷を抜け出して、一人、沖の水面の輝きを眺めているのが好きだった。父上や母上、下人たちには、変わった姫だとか、黙っていれば愛らしい姫なのにと言われるけれど、関係ない。 ただ一人で、風に身をまかせ、空想に心を泳がせて、物思いに耽っているのが好きだった。
 その好きな風景の中、脇の細道に、あの方が倒れているのを見た時、わたしは体の芯が打ち震え、すぐには動くことができなかった。
 濡れそぼった着物や、黒い髪が身にはりつき、眠っているように、静かに横たわっていた。閉じられた瞼の、長いまつげの横を、水滴が滑り落ち、細い梁(りょう)のとおった鼻から、胸がかすかに呼気で動いた。わたしは、息をするのを思い出した魚のように、飛びつき、その大柄な引き締まった体を揺らした。
「お侍さま!」
 ぐったりと重い将ノ助の体をたすけおこし、必死に肩をかついで、屋敷に向かって運んだ。圧しかかってくる、硬く冷んやりとした体を感じながら、地を踏みしめた。
自分にこんな力があったなんて、信じられない思いだった。

 脚も千切れんばかりに、わたしは走る。
 将ノ助はきっとあそこにいる。予感がする。夜と星と月の中で、違う世界の朝を迎えるために、あの、湖が一面に見える葦原(あしはら)の中にいる。
 わたしは庭の裏に広がる雑木林を駆け抜けていく。細い木の枝が、葉の露をはじきながら、わたしの着物を引っ掻き、豪華な布を破いていく。
 一番気に入りの、京の淡染めの衣だった。桃や藤色の混じりあった優美な染めで、伊勢物語を描いている。いま流行りの、絵物語の錦――。

 将ノ助は、客分(きゃくぶん)としてわたしの家、菅野家に迎えることとなった。
 身につけていた着物は、絹の質や、金銀の糸づかいも見たことのない眩さで、かなり裕福な武士階級の若者なのだと知れた。
 父上や母上が名前をきくと、将ノ助、と名乗ったけれど、住んでいた土地や身分など、重要なことは何も答えられず、記憶を失っているようだった。
 その日わたしは、鏡の前に座って、はじめて自分で、唇に紅を引いた。棚の奥から、緑や桃の着物を引っぱり出して、頭を悩ませた。それまでは、自分の部屋に閉じこもって、人形あそびや、物語を読むか、一人で外に出て湖を眺めながら、日がな一日暮らしていた。けれど、将ノ助が現れてからは、屋敷のあらゆる場所や、湖の近くの里や市場にも、出向くようになった。
 だって貴方がわたしを見て、開口一番に、お美しい姫ですね、と言ってくれたから。

 草や硬い葉が、腕や首のさらした肌を切って、血がにじんだ。着物なんてどうでもいいけれど、あの方の前で、一番きれいな姿でいられないのは、悲しい気がした。今までとてもがんばってきたのだけどな。
 雑木林が開けた。重なりあう枝の、緑の葉を散らして、わたしは草原に転がり出た。

 ある時、裏庭に面した回廊を歩いていて、わたしはそっと足をとめた。
 わたしが屋敷の中を歩き回るのは、別の意味もあって、うちの中で働く将ノ助の姿を、少しでも見たいからだった。記憶のない将ノ助は、ただ世話になるだけでは忍びないからと、家の手伝いをしてくれていた。
 庭のすみで、将ノ助は斧をふり、薪を割っていた。
 上半身の着物をはだけて腰までおろし、玉の汗を流して薪を割る様は、どこか色香があった。
 将ノ助は身をおこし、静かな水をたたえるような、深いまなざしで、わたしを見つめた。
 その動作はとても優雅で、背筋が強度のある弓のように形よく、どこぞの城からやってきた、お侍さまのようだった。
 目がひたと合うと、将ノ助はにやっと笑って、いたずら小僧のような表情になった。
「そんなに薪割りがめずらしいですか?」
 わたしは驚いて立ち尽くし、袖で顔をかくすことを忘れた。
「さすが、お姫さま、ですね」
 と小馬鹿にしたように、喉を低く震わせて笑うので、わたしは顔が火のように熱くなって、胸に切迫するものが噴き出すままに、語気を荒げた。
「無礼でしょう! なんですかその、品のない姿は。早く着物を身につけなさい」
「お姫さま、いやお香さまこそ、そんなに着込んでいて暑くはないのですか? お顔が真っ赤ですよ」
「なんですって!」
 それ以来、二人きりで顔を合わせると、いつも喧嘩ばかり。恥ずかしくて、でも近くにいると、わたしの中に吹き荒れる強い刺激に翻弄されてしまう。心が鋭く尖っていたり、収縮して震えていたりする中に、純粋な想いが――一番伝えなければならない、大切なことがあるのに。

 草原に、駆け出す。重なり舞う細草たちが、渦をまいて、風に散る。
 さあさあと波打つ草を薙いで、着物の袖を振り乱し、あたりを見回した。この葦原の中からは、見渡す限り一面に広がる平原と、遠くにきらめく湖が見えた。
 そう、この生い茂る草の中から見たのだ。あの水にゆらぐきらめきを。

「わたしはあの湖の、とても美しく見える場所を知っていますよ」
 二人して縁側に座り、池にたゆたう鼠(ねずみ)色の鯉たちに餌をやりながら、将ノ助が言った。
「まあ、わたしの方がよく知っています」
 わたしには、あの湖をずっと見つめ続けてきた自負があった。だから、驚くと同時に反発して、またいつもの小競り合いになった。
 その夜、将ノ助はわたしを連れだって、二人、屋敷を出た。
 流石に、夜に一人で湖を見に行ったことはなかった。急につかまれた、大きな手の力強さや、硬く、ひんやりと汗に濡れた感触に、胸の早鐘が痛いくらいに高鳴って、引かれるままについていった。
 水際は怖くて嫌だと言うのに、引っ張っていかれ、湖にほど近い葦原の中に、二人してしゃがみこんだ。その場所からは、どこまでもつづく紺碧(こんぺき)の空と、視界いっぱいに水平線の続く、湖が見えた。
 夜空には、満天の星が広がり、水面は鏡となって、湖の中に星空を映していた。
 幾千の光と、ゆらぎもしない水面は静けさに包まれ、星の瞬きだけが、微弱に動いた。
「水は天を映す鏡になるのです」
 そう説明してから、将ノ助は小さく呟いた。
「水の中に入ると、自分の周りには、夜と星と月しかなくなります」
 見上げると、端整な横顔の瞳には、夜の水底を見つめる静かな光があった。どこまでも沈んでいくような深い目が、ぱっとひらめくように、こちらを見た。水に入ってみますか? と、将ノ助は笑った。
 嫌です、かなづちですもの、と言うと、わたしは泳げますが、とまた軽口をたたいてくる。
 夜風に湖水はさざ波立ち、水鏡に映る三日月が、泳ぐようにたゆたっていた。
 まるで、白く輝く魚が、水面下を泳いでいるように見えた。

 草原の中央まで走り出て、息も絶えだえにふらつく体で、前方の、あの時夜に二人で行った、湖の水辺のあたりを見た。将ノ助の姿は、ここから見つけることはできなかった。風にざわめく葦野原にも、岡の上にも、一本立つ大樹の下にも、影ひとつ見当たらない。
 どこにもいない。もう会えないのかもしれない。そう思うと、目の奥がつうんと熱くなった。あの方が消えてしまった、今になって。もう全てはとり返すことはできないんだろうか?
 それでも。どうなってもいいから、伝えなければならないと思った。
 わたしは草地を強く踏み散らし、湖に向かって、もう一度走り出した。

「将ノ助さま……。わたし、結婚のお話があるのです」
 部屋を下がろうとする将ノ助の背中を、わたしは呼びとめた。
 領主の次男さまとの、夢のような良縁話は、屋敷中に広まっていた。
 でももし、貴方がわたしを連れだって、逃げてくれるなら。どこまでも二人で、手に手をとって生きてゆけるのなら。
「そう……ですか」
 将ノ助は、こちらを向かなかった。
「お受けになるのが、よいのではありませんか?」
 胸を刺す言(こと)の刃(は)は、わたしが大切にしまっていた、脆く柔らかい部分を、鋭く両断した。
 わたしは失意に溺れるまま、父上の、穏やかに問いかけ続ける説得に、うなずいてしまった。その話は、領主本多家に正式に伝わったと、後に聞いた。

 躓いて、草の上に引き倒れた。腕をついて起きあがり、よろめく足で、また地を蹴りだす。
 とても体が熱い。こんなに走ったのは、生まれて初めてだった。もう三回も転んで、土にまみれた。息が激しくのどを圧して、胸が苦しい。足が、地面から突き出す枝や岩で、刺すように痛い。血がこびりつき、痺れて力が入らない。もうだめなのかもしれない。
 それでも、伝えなくては。あの方は姿を消すと言った。だから伝えなくては。貴方がこんなにも強く、わたしの中に存在した証(あかし)。わたしが貴方を愛したという、永遠に消えぬ真実。
 体の力はとっくに尽きてしまっている。けれど、大地の神に乗り移られたような、大きな力が、今わたしを動かしているように感じられた。
 もう怖れない。わたしがあの方のためにできることはなんだろう? あの方とわたしが今生で出会った、その学びの意味は?
 あの方とわたしの運命の糸は、繋がることなく、絡まるばかり。二人の糸が織りなす綾なる錦は、どのような文様を描き出すのか。
 髪を振り乱して、風に波打つ草を踏み超え、湖岸に向かって駆けていく。もう着物は幾重も崩れて、淡く繊細な文様は、泥でよごれていた。
 高く生い茂った葦を越えて、水辺の平原に出ると、湖のほとりの、浅瀬の水に少し入ったところに、将ノ助はいた。
「将ノ助さま!」
 前方には、どこまでも広がる大きな湖が、豊かにたゆたっている。ここは淡海の国。太陽はもう沈んでしまって、白金の月がくっきりと、水面に鏡のように映っている。空をなでる残光は夕色。まるで錦のような、紫と金の光が織りなす風景だった。
 将ノ助はゆっくりと振り返った。着物の前をはだけ、たくましい胸があらわになっている。その体の前には、脱いだ鈍(にび)色の袴(はかま)が湖面に浮かんでいた。
 湖面には星影がきらめいて、空と湖のあいだには白い霞が、淡く広がっている。
 わたしは湖の水際で立ちどまった。温かな水の匂いが漂ってきて、荒れた呼吸を癒していく。空にまだくすぶる茜陽が、肌をじりじりと焼く。わたしは大声で張り叫んだ。
「お待ちになって。どうか聞いてください。 わたしは貴方を愛しています! この上なく、愛しています!」
 将ノ助の涼やかな目が、少しだけ、見開かれたように思えた。
「ずっと言えなくてごめんなさい。本当は最初から、初めて道に倒れる貴方を見た時から、恋焦がれていました」
 遠くで、呼応する熱を感じた。あの方の息遣いと、鼓動の乱れと、驚きを。
「今ここでもいい、わたしを奪ってください。身をお捨てになるというのなら、その命の輝きを、わたしにください」
 これではまるで、子種(こだね)がほしいと言っているみたい。ああ、言葉というものは、もどかしいほどに、全てを伝えることなどできない。
 わたしはただ幼子のように不器用で、こんなに燃ゆる、相手を恋う、熱い魂を、どう表現すればいいのかわからない。
「お願いです。わたしは貴方を愛しています。結婚もやめます。ですからどうか、お行きにならないで」
 泣き崩れそうになるのを必死に堪えながら、わたしはまっすぐに将ノ助を見つめた。
「お香さま」
 将ノ助が、口を開いた。
「そんなものは一時の気のまよいです。ご結婚して幸せになられれば、わたしのことなど忘れてしまいます」
「いいえ、そんなことありません! わたしは貴方とずっと……」
 水の中を見て、わたしは息を呑んだ。そよ風が、水面に浮かぶ袴を、押し流していった。その下の、薄墨色の水中にあらわになったのは、鮮やかに浮かびあがる、錦だった。
 白と赤に、黒をちらした文様。それは衣の文様ではなくて、魚の形をした体の、鱗(うろこ)の色柄だった。将ノ助の腰から下が、魚の形をしている。
 白地に紅や朱がまじりあい、黒い斑点の入った、見たことのない艶やかな錦色だった。
 ああ、もうだめなのだな、とわたしは悟った。なにが根拠というものはないけれど、わかっていたような気もする。
 もうこの方にやさしく触れられることもないし、見つめられるのも、今この時が最後だ。
「おわかりになったでしょう。わたしは貴女の愛を受けられるような者ではありません」
「馬鹿になさらないで」
 わたしは腹の底に力をこめた。それでも、伝えなければならない。ここでくずおれてしまってはならない。
「伊達や粋狂で、貴方を愛していると言ったわけではありません。貴方という存在が、可愛らしい置物だとしたら、ずっとそばに置いて愛でつづけるでしょう。貴方が水に泳ぐ鯉なら、ひと目その姿を見ただけで、美しさをずっと忘れられないでしょう。貴方が野を駆ける駿馬(しゅんめ)なら、共に駆けゆく伴侶にしたいと願うでしょう。貴方という存在が物語なら、涙して何度も何度も、死の枕までも、くり返し読むことでしょう」
 これがわたしの本心。わたしの伝えるひとつの愛が、貴方の生きる自信になればいい。
 だからわたしは世界中に向かって、高らかに唄おう!
「愛しています、将ノ助さま。貴方を愛せたことが、わたしの喜びなのです。貴方はとてもすてきで、純粋で、聡明な方です。貴方の必死さも、頑張りも、全てわかるから、応援したい、わたしの愛で包みたいと思うのです。貴方の傷をわたしが癒したい。貴方の幸せがわたしの幸せになるから、貴方らしく生きてほしい。あたたかく広がる愛を存在にしたような、奇跡みたいな貴方。この世に存在してくれていてありがとう。姿形も、身分も、人であるかどうかも関係ありません。貴方はわたしの中で、かがやく光です」
 わたしはありったけの愛をこめて将ノ助を見つめた。
 わたしの広がる愛は、水底から宙(そら)の果てまでも、過去へも未来までも、柔らかく包みこみ、逃れることなどできないでしょう!
「お香さま……」
 将ノ助はうつむきがちに、かすれた男らしい声をもらした。
「わたしは、人ではありません。湖の底に棲む、人魚なのです。あの日、八年前、光さす水面から、降ってくるお香さまを初めて見ました。まだ九つほどの少女でしたね。わたしは十四の若魚で、ひと目で心奪われてしまいました。天から水の中へ、天女が舞い降りてきたのかと思ったのですよ。貴女が溺れて気を失っているのだと気づいて、湖の水際に送りとどけて以来、わたしが貴女を忘れた日はありませんでした」
 わたしは、記憶の底に穴があき、そこから流れ出す水に打たれたように、手で口を覆った。確かに小さいころ、舟遊びに連れていかれて、湖に落ちたことはあるけれど……。
「わたしは、湖の水底にある、水竜の宮で、水竜の王にお頼みしたのです。どうかわたしを人間にしてください――と。竜宮に棲む、ほかの人魚や水神たちは笑いました。人間になってどうするのだ、この城で、竜神の姫を娶(めと)って暮らせばよい、と。でもわたしはあきらめることができなかった」
 将ノ助の熱い目が、わたしを射った。
「わたしは、水竜の王の許しを得て、〝掟(おきて)〟に従いました。人間の姿になれるように。水底の秘密をもらさぬよう、重要なことは言えないように。貴女とわたしが結婚の〝契約〟を交せば、人魚に戻れぬように。そして貴女がほかの男(お)の子と結婚の〝契約〟を交せば、泡になって消えてしまうように、と」
 将ノ助の腰に巻きつくような柄の錦は、いっそう鮮やかだった。あまりの眩さに、胸が苦しかった。
「掟により、わたしは水の泡となって消えなければなりません。わたしの人間の姿は、陽の入りとともにもう解けてしまいました。もう、お会いすることはできません」
 わたしは悲痛に顔がひき歪み、身に激痛がはしって、胸が打ち割れた。
「そんな! どうしてですか。また湖に戻ることはできないのですか」
「いいえ、お香さま。とり返すことは叶わないのです。時は戻せません。全ては起こってしまったこと。貴女とわたしが、出会った時から」
 将ノ助は至上の、この世にある全てのやさしさに満ちた瞳で、わたしを見つめた。輝くおだやかな水面が、あたたかな潤いで、わたしを包みこむように。
「菅野家も、かつては領主さまの片腕として名をはせた名家であったのに、今では年貢(ねんぐ)を集める村長のようなもの。それでは農民であるのと何ら変わりません。貴女も心を痛めておいでなのでしょう? この結婚で家の暮らし向きも変わるでしょう。領主さまの子息と結婚すれば、湖上の城で暮らすこともできるのですよ」
 父上や母上の辛い暮らしを思うと、胸が痛んだ。一度、農作業を手伝おうとして、手が赤ぎれだらけになったことがある。
「わたしは貴女を愛しています。柔らかい微笑みの、やさしい貴女。貴女は幸せになるべきです。そんなに澄んだ目をしているのだから」
 わたしは涙があふれてしまう。ああ、湖の上は淡く霞みがかかっているのに、その上に涙がにじんで、あの方の笑う顔が見えない。将ノ助の姿を、最後の一瞬まで目に焼きつけておきたいのに。
「わたしは泡と消えます。後悔はしていません。貴女と会えてよかった。さよなら、愛しいお香。どうか幸せに」
 将ノ助の体のふちが、光で、霞んだ気がした。
「将ノ助っ!」
 飛沫の波を散らして、湖の中に駆けこんだ。残光は波間にとけ、泡となってはじけた。細かに立ちのぼるきれいな泡が、淡い光の中で消えてゆく。
 わたしは水の中に座りこんだ。夕紫の光がさしこんで、ゆらめく水に、二の腕まで浸かる。将ノ助の泡は、もう跡形もなく、水の海にとけていた。
 気がつけば、鯉たちが、わたしの周りをとり囲んでいた。緋や黄金の色鯉が、水の中を舞った。
 わたしは思わずふふ、と笑う。その拍子に、涙がぽたぽたっと落ちて、二つの小さな波紋が、湖に広がった。

「思ったとおりの姫だ」
 背筋に総毛立つ気配をうけて、水底に両手をついたまま、俊敏に顔をあげた。
 背後の平原に立っていたのは、荒々しい風貌の、大柄な男だった。
 猛々しい気を帯びて、全身から熱気を放ち、そこに在る。
「強く、活動力に溢れ、美しい」
 ひとつにまとめたざんばら髪が風に散り、豪勇な顔つきで、高らかに笑む目が、太陽のように輝いていた。陽に焼けた顔は、存外に若く、整っていた。
 腰には長短三本の、金細工の刀がにぶく光る。
 屈強そうな体躯には、傾(かぶ)き者のような羽織を着て、陽光に赤く映えている。
 灼熱の中を、龍神と雷神が戦う絵柄の錦――。
「誰?」
 水の中を後ずさり、胸元をたぐりよせた。
 わたしの周りにいた魚たちは、すばやく散っていた。とり残されて、獅子に狙われる獲物になったような気がした。
「俺の妻に相応しい」
 目の奥が、急激に開いた。胸の魂が、ざわりと音をたてる。怖ろしい予感がした。この方は、この豪奢な武具をまとった殿方は……。
「ずいぶん長い間、おあずけにさせてくれたな。最後に婚約を呑んだのも、ほんとは嫌々って感じだったが」
 本多次郎兼勝さま。わたしの、何度も求婚を迫ってきた婚約者。領主本多家の次男さま。
「お前はいつも一人で野に出て、湖を見ていたな。城の俺の部屋から見えるんだ。お前はきれいな着物を着て、風の中で自由に踊って、さみしそうに、湖を見ていたな。一人でこんなところに出てくるとは面白い、変わった姫だと思っていた。男をひろったのには驚いたが」
 強く暗い、力のある目が、わたしの胸に飛びこんできた。赤く濡れた熱っぽいまなざしで見つめられ、動くことができない。
「ずっと、見てたんだぜ」
 水を蹴散らして、ざぶざぶと湖の中まで入ってくる。強引に腕をつかまれ、引き上げられ、腰を抱えこまれた。
 唇を、やわらかな感触がおおった。あまりにやさしく、抵抗がなかった。
 接吻されている。そのことに気づくのに、長い、永い時間がかかった。
 顔を離され、近くで目を合わせたまま、彼は囁いた。
「お前は強いな。でも俺はもっと強い。俺の女になれ」
 わたしは茫然と見上げることしかできない。彼の朱色に照らされた顔が、不敵に笑う。
「俺はお前を手に入れる。そして兄上を消して、俺が領主になってやる。この国だけじゃない。湖の向こうの、もっともっと遠い国まで、手に入れてやるよ」
 抗えないほどの握力で肩を抱かれ、引き寄せられる。筋骨たくましい首筋やあごの上の、彼のきらきらと澄んだ瞳が見つめる先を、思わず目で追った。
 輝ける湖面の上に、城が威風堂々と築かれている。城は、夕空に赤く照り映え、金の鯱鉾(しゃちほこ)も雄々しく、瓦は黒光りするうろこのようで、美しかった。
 夕霞の中で、わたしの意識は、はっきりと冴えていた。
城下の水面で、火の粉が跳ねるように、白金の鯉が舞った。

                       ―完―

(四〇〇字詰め原稿用紙二七枚)

―――――――――――――――――――――――――――――――

 追加した主なシーンは、

●夜の湖ラブロマシーン
 ここは、二人にもっと素敵な思い出作ったらなあかんやろ! というご指摘と、
 ロマンスといえば夜景やろ! という超個人的な判断により、加筆されたシーンです。
 本当はもっと伏線わかりやすく、「赤や黄色の鯉がいる国を知っている」と将ノ助が物語るシーンも入れてたんだけど、
 これはわかりやすすぎて、オチがバレるらしく、消しました。

●次男登場シーン
 これは、出すべきか最後まで迷った。
 前ので終わる方がすっきりしてるとの見方もあれば、短編にしてはオチが弱いとの見方もある。
 第三のキャラがいる方が、前の二人も際立っていいということで、結局残すことに。

   
 賞に出すべく原稿を送ってみると、
 むしろ今まで、何で賞に出してなかったんだろう? 書くの好きだったのに。
 と、思うようになった。
 ホントはまだ技術に自信がなかったからなんだけどね。
 よし、これからもっともっと精力的に書いて、腕を磨くぞ!
 と言いながら、長らくこの作品に手ェ入れるのにタラタラして、他の作品書くのも、遅々として進んでなかったのだ。
 書き上げたら、寝かせて、直して、感想もらって、直して、、ってずっとやるより、(何か押さえつけられて重くなっていくような。。snail
 書き上げた!終わった! と思ったら、解放感と満足感に満たされて、すぐ次の作品を書きたい……カモhorse
 やっぱシャキシャキしたテンポが好きだっsign01(せっかち・早口ですが何か

|

« 羞恥心 よりも 好奇心 | トップページ | レズる。~女の子のヒ・ミ・ツ »

小説」カテゴリの記事

コメント

初投稿おめでとうございますhappy02

祝・デビューを心よりお祈り申し上げます。

投稿: スナフキン | 2009年7月18日 (土) 17時54分

投稿デビューてやつですわ(笑)

これからも楽しく書こう!(^O^)/オー☆

投稿: こさっぺ | 2009年7月20日 (月) 14時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/528074/30589617

この記事へのトラックバック一覧です: 実は初投稿 ~短編小説新人賞:

» 副業 確定申告 [副業 確定申告]
年金をもらった人は、原則、確定申告の必要があります。年金には、「公的年金」と「個人年金」の2種類あり、「公的年金」とは、国民年金、厚生年金などの社会保険制度に基づく年金や、恩給、適格退職年金契約に基づく年金のことをいいます。それは雑所得として申告します。 ... [続きを読む]

受信: 2009年7月18日 (土) 12時35分

« 羞恥心 よりも 好奇心 | トップページ | レズる。~女の子のヒ・ミ・ツ »