衣替えの季節でつね。
というわけで、行ってきました京都、東寺&伏見稲荷。
お母さんと伏見の山を歩き、美味なうどんを食って「これが幸せだなあ~」と実感。
自分探しの旅とゆうやつです。まず私にはそれが必要なようで。
というか、最近体調や心調(?)を崩したりもして、長年続けてきた自分のキャラに、無理がでてきた。ような気がする。
かといって自分を変えようもないんだけど、もう一度芯から自分の真の姿と向き合い、表現テーマを抽出し、自らの要素を整理し、組み換え、創生せねばならん。
てなわけで、ここでキャラクター作りから練り直してみようと思う。ちょっとした小説のキャラを作るより、ずいぶん難しい。
「果たして自分は何者であるのか?」
こういう時は、子供の頃の自分を振り返るのが、いいらしい。
私の人生最大のモテ期は、小学校1、2年だったと断言できる。
こさっぺはその昔、大人しく、上品で、絵や字や文章の才も長けて(ほかより早熟な子供であった)、成績も優秀、スポーツも万能、見目も人生で一番可愛らしい色白幼女であった。
いやいや笑うところではないぞっ。そのころは男子から非常にモテ、常に何組の誰それはこさっぺさんが好き、このクラスのあいつもこいつもこさっぺさんが好き、と、笑けずにはいられない状況だったのだ。
そして、本当に笑ってなどいられなかった。
こさっぺは非常に気の弱い少女だった。今もそうだが。(←え) ので、男子にはいじめられる対象となった。女子にもいじめられた。
当時の年齢の男の子たちというものは、好意の表現手段は”いじめ”であることが、往々にしてある。そりゃあもう、毎日水筒やら消しゴムを盗まれたり、帰り道では集団で追いかけられたり、プールの時間にパンツを盗まれたり、教室で格闘したりで(それでなぜ大人しい子と思われていたのかは未だに謎だが)、ひどかった。単に面白がっていた、餓鬼の男子もいたかもしれない。
しかもその時期、ちょうど『クレヨンしんちゃん』なるアニメが始まっており、野原しんのすけが幼い男子たちに与えた高度ないじめテクの、その被害たるや尋常ではなかった。
クレヨンしんちゃんのモノマネをしながら、変な踊りを繰り返し、迫ってくる男子・・・。
「ぞ~うさんぞ~うさん」を歌いながら、檀上で股間のガネーシャをプラプラと振る男子・・・。
クレヨンしんちゃんがテレビの中でぞうさんをふりふりしていなければ、当時は単細胞な幼い男子たちのこと、そんな思いきった行為は思いもつかなかったろうに。
こさっぺのモテたくない症候群は、この頃のトラウマも絶対、ある。
が、男子は何だかんだで好いてくれているが、問題なのは女子で、女子社会ピラミッドとの折り合いは難しく、「女の嫉妬ほど怖いものはない」というトラウマも、この頃発達した、かもしれない。
モテる=いじめられる&嫉妬される というイヤなトラウマ図式が・・・。
なまじ、みんながガキんちょの頃にモテ期が来たから、いかんのだ。普通の女子のように、女として花咲く頃にモテ期が来ていたら、男性諸君ももう大人だし、楽しいモテモテライフ(何じゃそりゃ)を送れていたかもしれないのに。
で、男子から投げられた棒で危険なケガをしたり、ある男子の、好きな子の名前を言ってしまって、相当なプレッシャーといじめを受けた時。
心弱いお嬢ちゃんはブチ切れた。
「てンめ~M村ァ~! 何しよんじゃコルr(巻舌)ラァ!!!」
すさまじく腹の底から轟くような、低い大声。きたない播州弁での罵詈雑言。追い詰められた人間の、別人格の出現、突然の大変貌に、みんなはビビッていた。
その哀れな男子とは、クラス全員を味方につけての全面戦争に突入し、凄まじい口ゲンカや乱闘をしまくった。ああ可哀相に、これが可憐な少女の、自己防衛の手段である。
大人しい女の子が何じゃそりゃ! 変に夢見てちょっかい出して来んじゃねえぞ! 私を好きと言っていた男子が1人消え、2人消えていった・・・。が、私は非常にスカッとしていた。
今の私のキャラは、この時からの延長である。
強く、明るく、面白く。男っぽくてちょっとお下劣。
見た目と正反対の性格、と言われるのは、そのためかもしれない。
が、それにもやはり無理が出てきた。こさっぺはやっぱり心弱い、ネガティブな子であるのだ。
さて、こさっぺには、いらいらして仕方ないキャラがいる。
超有名ゲーム『ときめきメモリアル』の“詩織ちゃん”である。
これは言わずと知れた恋愛シミュレーションゲームで、出会った女の子たちの中で、好みの女の子たちをゲットしていくとゆう、男の妄想パラダイスワールドだ。
その中で最上級、可愛くて何でもできて、性格もオールマイティの、男性の憧れを具現化したようなキャラが、詩織ちゃん、なのである。
髪も服も何もかもピンクって、何だよ! →私は昔ピンクピンクしていた。
好きな音楽はクラシックって、今時そんな女子いるかよ! →私はクラシックが好きである。
こんなの、男の理想を形にした、偶像だろ! →私は偶像として見られていた。たぶん。
要するに、自分のキライな部分、否定して生きてきた部分が、詩織ちゃんに投影されているのだ。
そして思う。「こんなやつ、いるわけ、ない」。
そして、最近読んだ本で、ショックなことがある。
氷室冴子のエッセイ本である。
氷室冴子とは、私が夢見るコバルト文庫の作家で、かなり感性にフィットする、尊敬し目指すべき作家なのだ。
その憧れの作家が、ガンガンにお酒飲んでたり、妻子ある男と遊んで「アタシはそれで楽しいからいいのよ」と言っているのを見て、
あ、氷室冴子、不倫とかするんだ・・・。
へぇ・・・。
そうなんだ・・・。
ショボーン。
と、自分がやってしまったかのごとく、ショックを受けた。
私はそういうの、受け付けないらしい。無理だ、と思う。
友達にも、
「お酒くらい飲みなよ」とか、
「こさっぺさんはもっと遊んだ方がいいよ」とか言われるけど、
(おお、そうなのか!?)
と思ってやってみようとすると、一瞬にして無理と悟った。
つまり、向いてないのだ。(人を汚そうとしおってからに~! ナンテネ)
と、いうわけで、今回私のキャラを、
「気が弱いゆえに大人しい、お上品な女の子である」と仮定する。
お育ちよろしく、才気ある可憐な関西女子・・・。
夢見がちで好奇心旺盛、行動はちょっと突飛だけど、容姿端麗、成績優秀、七転八倒(?)
でもちょっぴりナルシストの自覚もあ・り・よ
神経過敏で繊細な女の子は、まるで牝馬のように。(←競馬ファンしかわからん表現)
もしかしたらもしかしたら。本当は純粋で、清らかな心を持っているのかもしれない。(人間はみんなそうだが)
と、いうキャラ。は、どうだろう。
う~ん。やっぱり何か違う気がする・・・。てか大人しくないし。七転び八起きですから。
私の小5の大変貌は、すさまじいまでの男子へのシャットダウンと、女子への媚びでもあった。ただ強くなりたかったのかも。
こんなこと言ったら女子に嫌われるかもしれない、なんて、もう思ってやらないぞ。
色んな大人のケイケンしなきゃいけない、とも思わない。
私はお酒やタバコや男遊び、普通に人が楽しむ「娯楽」をしない、清廉潔白な女子なんです!
あたしゃインテリ坊ちゃんと、シャッキリ美女銀行員から生まれた、箱入り嬢ちゃんだぜ文句あっか!
と、言うことが重要なのかもしれない。
イマドキじゃない古風な女子でもいいじゃないか。誰も貰ってくれなかったら、いい筋に頼んで良家とお見合いさせてもらうさ。
単に、強気になればいいんかもなぁ。どこに強気をもつかが問題なのだけど・・・。
強く明るい面白男キャラよりも、
清く、正しく、美しく。
が、いいのかもしれない。
だが、人格形成の年頃とされる思春期に、強固に我を張ってワハハとやってきた私としては、その頃の美学とか、形式で見られることの拒絶とか、何でもやりの芸人魂が染み込んでいるので、もうそれは戻せないものと思われる。
だから、「自分の中のそういう面も意識してみる」、というのでまずはよろしいかと。要、観察。
てか、どっちも本当の自分なんじゃない? とも思うよね。難しいですね、本当の自分を探すって。
ただ、大人しい少女だろうと、コワい爆裂娘だろうと、芸術創作だけは、ずっとやってきた。
それだけは私の中で唯一確かなものだから、あの輝く星に向かって走れ! ト、私は作家になりたいと思う。なので、
清く、正しく、美しく。&面白く。
が、いいのかもしれない。
とりあえず、また『ときめきメモリアル』で、詩織ちゃんをゲットしてみながら考えようと思う。やっぱり、自分を好きにならなきゃね。
でも詩織ちゃんにこっぴどくフられたら、キライになるかもしれない。
こンの、男の虚像の可愛い子ブリっ娘が~!
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