菅野お香様へ
こうやって貴女様に手紙を書くのは、初めてになりますね。私は最後に、貴女様に伝えなければならない事があります。
この度は、正式なるご婚約、誠におめでとうございます。これで菅野家も、武家としてのご威光を取り戻されるでしょう。
私は消えます。今日までのご恩、何と感謝を現せばいいのかわかりません。
奥様と旦那様には、記憶が戻ったので出て行ったと、どうかお伝え下さい。貴女様の幸せを、心より、お祈りしています。
将ノ助
*
うすぼんやりとした行灯(あんどん)の明かりが、畳の上で揺れている。その前でひざをつき、広げた手紙の――まだ乾かぬ、濃い墨の文字が、震えていた。私が将ノ助に、書き方を教えた、文字。
私は手紙を握りつぶして、跳ね飛ぶように身をひるがえし、畳を強く蹴って走りだした。
力のかぎり襖を開ける。かん高い音をならして、乾燥した木が打ちつけるのを後方に聞きながら、次の間を駆け抜ける。水竜の描かれた古い飾り襖を開く。広い客間を一気に突き抜けた。外の夕陽をうつす障子戸を引き、縁側の古い板を蹴って、庭園へ飛び出した。
「姫さま!」
うしろから、縁側にすわって叫ぶ下女の声が追いかけてきた。
私はかまわず前を向き、走りだした。長く結った髪が、首や小袖にまとわりつく。絹の着物の胸前は乱れ、はだけ崩れていた。草履などはいている時間はない。裸足で、草が葦(あし)ほどにのびた、青くさい庭園をかき分けて進む。池の水は干上がって、苔むした岩が崩れ落ちていた。
私はまっすぐに向かっている、将ノ助のことを考えていた。
将ノ助に初めて出会ったのは、湖岸の草原で、沖の水面の輝きを眺めているときだった。
脇の細道に、あの方が倒れているのを見たとき、私は体の芯が打ち震え、すぐには動くことができなかった。
濡れそぼった着物や、黒い髪が身にはりつき、眠っているように、静かに横たわっていた。閉じられた瞼の、長いまつげの横を、水滴が滑り落ち、細い梁(りょう)のとおった鼻から、胸がかすかに呼気で動いた。私は、息をするのを思い出した魚のように、飛びつき、その大柄な引き締まった体を揺らした。
「お侍さま!」
私はぐったりと重い将ノ助の体をたすけおこし、肩をかついで、屋敷に向かって運んだ。圧しかかってくる、硬く冷んやりとした体を感じながら、地を踏みしめた。
自分にこんな力があったなんて、信じられない思いだった。
私は脚も千切れんばかりに走る。
将ノ助はきっとあそこにいる。予感がする。ものを考えて悲しい目をするとき、将ノ助はきまってあの、湖の見える草の丘にいたから。
私は庭裏の雑木林の中を駆け抜けていく。細い木の枝が、葉の露をはじきながら、私の着物を引っ掻き、豪華な布を破いていく。
一番気に入りの、京の友禅(ゆうぜん)染めの衣だった。淡い色合いの混じりあった優美な染めで、宇治拾遺物語を描いている。いま流行りの、絵物語の錦――。
将ノ助は、下人として私の家、菅野家に仕えることとなった。
父上や母上が名前をきくと、将ノ助、と名乗ったけれど、住んでいた土地や身分など、重要なことは何も答えられず、記憶を失っているようだった。
私は部屋の、鏡の前に座って、はじめて自分で、唇に紅をひいた。棚の奥から、緑や桃の着物を引っぱり出して、頭を悩ませた。それまでは、自分の部屋に閉じこもって、人形あそびや、物語などを読んで、日がな一日暮らしいた。けれど、将ノ助が現れて、私は屋敷のあらゆる場所や、菅野の家が治める土地にも、出向くようになった。
だって貴方が私を見て、開口一番に、お美しい姫ですね、と言ってくれたから。
草や硬い葉が、腕や首のさらした肌を切って、血がにじんだ。着物なんてどうでもいいけれど、あの方の前で、一番きれいな姿の私でいられないのは、悲しい気がした。今までとてもがんばってきたのだけどな。
雑木林が開けた。重なりあう枝の、緑の葉を散らして、私は草原に飛び出した。
ある時、中庭に面した縁側の回廊を歩いていて、私はそっと足をとめた。
私が屋敷の中を歩き回るのは、別の意味もあって、うちの中で働く将ノ助の姿を、少しでも見たいからだった。
将ノ助は、近くを廊下が架かる庭のすみで、斧をふり、薪を割っていた。
上半身の着物をはだけて腰までおろし、玉の汗を流して薪を割る様は、どこか色香があった。
将ノ助は身をおこし、静かな水をたたえるような、深いまなざしで、私を見つめた。
その動作はとても優雅で、背筋が強度のある弓のように形よく、どこぞの城からやって来た、お侍さまのようだった。
目がひたと合うと、将ノ助はにやっと笑って、いたずら小僧のような表情になった。
「そんなに薪割りがめずらしいですか?」
私は、目をまん丸く開き、口をぱくぱくと上下させた。
「さすが、お姫さま、ですね」
と小馬鹿にしたように、喉を低く震わせて笑うので、私は顔が火のように熱くなって、胸に切迫するものが噴き出すままに、語気を荒げた。
「無礼でしょう! なんですかその、品のない姿は。早く着物を身につけなさい」
「お姫さま、いやお香さまこそ、そんなに着込んでいて暑くはないのですか? お顔が真っ赤ですよ」
「なんですって!」
それ以来、二人きりで顔を合わせると、いつも喧嘩ばかり。恥ずかしくて、でも近くにいると、私の中に吹き荒れる強い刺激に翻弄されて。心が鋭く尖っていたり、収縮して震えていたりする中に、私の純粋な想いが――一番伝えなければならない、大切なことがあるのに。
草原の中央まで走り出て、私は丘を振り返った。小高い丘の上に、将ノ助の姿はなかった。
どこにもいない。もう会えないのかもしれない。そう思うと、目の奥がつうんと熱くなった。あの方が消えてしまった、今になって。もう全てはとり返すことはできないんだろうか?
それでも。どうなってもいいから、伝えなければならないと思った。
私は草を蹴散らし、湖に向かって走りだした。
「将ノ助さま……。私、結婚話があるのです」
私は、退出する将ノ助の背中を呼びとめた。
藩主の次男さまとの、夢のような良縁話は、屋敷中に広まっていた。
でももし、貴方が私を連れだって、逃げてくれるなら。どこまでも二人で、手に手をとって生きてゆけるのなら。
「そう……ですか」
将ノ助は、こちらを向かなかった。
「お受けになるのが、よいのではありませんか?」
胸を刺す言の刃(ことのは)は、私が大切にしまっていた、脆く柔らかい部分を、鋭く両断した。
私は失意に溺れるままに、藩主本多家のお使者さまに、正式な返事をしてしまった。
躓いて、私は草の上に引き倒れた。腕をついて起きあがり、また地を蹴って走る。
とても体が熱い。こんなに走ったのは、生まれて初めてだった。もう三回も転んで、土にまみれた。足が、地面から突き出す枝や岩で、刺すように痛い。もうだめなのかもしれない。
それでも、伝えなくては。あの方は姿を消すと言った。だから伝えなくては。貴方がこんなにも強く、私の中に存在した証。私が貴方を愛したという、永遠に消えぬ真実。
もう怖れない。私があの方のためにできることはなんだろう? あの方と私が今生で出会った、その学びの意味は?
あの方と私の運命の糸は、繋がることなく、絡まるばかり。二人の糸が織りなす綾なる錦は、どのような文様(もんよう)を描きだすのか。
髪を振り乱して、風に波打つ草を踏み超え、湖岸に向かって走る。もう着物は幾重も崩れて、淡く繊細な文様は、泥でよごれていた。
湖のほとりの、浅瀬の水に少し入ったところに、将ノ助はいた。
「将ノ助さま!」
前方には、どこまでも広がる大きな湖が、豊かにたゆたっている。ここは淡海(あわうみ)の国。太陽はもう沈んでしまって、白金の月がくっきりと、水面に鏡のように映っている。空をなでる残光は夕色。まるで錦のような、紫と金の光が織りなす風景だった。
将ノ助はゆっくりと振り返った。将ノ助の前には、脱いだ鈍(にび)色の袴が湖面に浮かび、着物の前ははだけ、たくましい胸があらわになっている。
湖面には星影がきらめいて、空と湖のあいだには白い霞が、淡く広がっている。
私は湖の水際で足を止めた。温かな水の匂いが漂ってくる。空にまだくすぶる茜陽が、肌をじりじりと焼く。私は大声で張り叫んだ。
「お待ちになって。どうか聞いてください。 私は貴方を愛しています! この上なく、愛しています!」
将ノ助の涼やかな目が、少しだけ、見開かれたように思えた。
「ずっと言えなくてごめんなさい。本当は最初から、初めて道に倒れる貴方を見たときから、恋焦がれていました」
とおくで、呼応する熱を感じた。あの方の息遣いと、鼓動の乱れと、驚きを。
「今ここでもいい、私を奪ってください。身をお捨てになるというのなら、その命の輝きを、私にください」
これではまるで、子種(こだね)がほしいと言っているみたい。ああ、言葉というものは、もどかしいほどに、全てを伝えることなどできない。
私はただ幼子のように不器用で、こんなに燃ゆる、相手を恋う、熱い魂を、どう表現すればいいのかわからない。
「お願いです。私は貴方を愛しています。結婚もやめます。ですからどうか、お行きにならないで」
私は泣き崩れそうになるのを必死に堪えながら、まっすぐに将ノ助を見つめた。
「お香さま」
将ノ助が、口を開いた。
「そんなものは一時の気のまよいです。ご結婚して幸せになられれば、私のことなど忘れてしまいます」
「いいえ、そんなことありません! 私は貴方とずっと……」
水の中を見て、私は息を呑んだ。そよ風が、水面に浮かぶ袴を、押し流していった。その下の、薄墨色の水中にあらわになったのは、鮮やかに浮かびあがる、錦だった。
白と赤に、黒をちらした文様。それは衣の文様ではなくて、魚の形をした体の、鱗の色柄だった。将ノ助の腰から下が、魚の形をしている。
白地に紅や朱がまじりあい、黒い斑点の入った、見たことのない艶やかな錦色だった。湖の中には、青や黄の鯉がいるという伝説はきいたことがあるけれど。
ああ、もうだめなのだな、と私は悟った。なにが根拠というものはないけれど、わかっていたような気もする。
もうこの方に優しく触れられることもないし、見つめられるのも、今この時が最後だ。
「おわかりになったでしょう。私は貴女の愛を受けられるような者ではありません」
「馬鹿になさらないで」
私は腹の底に力をこめた。それでも、伝えなければならない。ここでくずおれてしまってはならない。
「伊達や粋狂で、貴方を愛していると言ったわけではありません。貴方という存在が、可愛らしい置物だとしたら、ずっとそばに置いて愛でつづけるでしょう。貴方が水に泳ぐ鯉なら、ひと目その姿を見ただけで、美しさをずっと忘れられないでしょう。貴方が浄瑠璃のからくり人形なら、終演まで何度も劇場に足をはこび、その役目を終えた日には、どうしてもと願い出て引き取らせてもらうでしょう。貴方という存在が物語なら、涙して何度も何度も、死の枕までも、くり返し読むことでしょう」
これが私の本心。私の伝えるひとつの愛が、貴方の生きる自信になればいい。
だから私は世界中に向かって、高らかに唄おう!
「愛しています、将ノ助さま。貴方を愛せたことが、私の喜びなのです。貴方はとてもすてきで、純粋で、聡明な方です。貴方の必死さも、頑張りも、すべてわかるから、応援したい、私の愛で包みたいと思うのです。貴方の傷を私が癒したい。貴方を見ていると私は幸せだから、貴方を幸せにしたい。あたたかく広がる愛を存在にしたような、奇跡みたいな貴方。この世に存在してくれていてありがとう。姿形も、身分も、人であるかどうかも関係ありません。貴方は私の中で、かがやく光です」
私はありったけの愛をこめて将ノ助を見つめた。
私の広がる愛は、水底から宙(そら)の果てまでも、過去へも未来までも、柔らかく包みこみ、逃れることなどできないでしょう!
「お香さま……」
将ノ助はうつむきがちに、かすれた男らしい声をもらした。
「私は、人ではありません。湖の底に棲む、人魚なのです。あの日、八年前、光さす水面から、降ってくるお香さまを初めて見ました。まだ九つほどの少女でしたね。私は十四の若魚(わかうお)で、ひと目で心奪われてしまいました。天から水の中へ、天女が舞い降りてきたのかと思ったのですよ。貴女が溺れて気を失っているのだと気づいて、湖の水際に送りとどけて以来、私が貴女を忘れた日はありませんでした」
私は、記憶の底に穴があき、そこから流れ出す水に打たれたように、手で口を覆った。確かに小さいころ、舟遊びに連れていかれて、湖に落ちたことはあるけれど……。
「私は、湖の水底にある、水竜の宮で、水竜の王にお頼みしたのです。どうか私を人間にしてください――と。竜宮(りゅうぐう)に棲む、ほかの人魚や水神たちは笑いました。人間になってどうするのだ、この城で、竜神の姫を娶って暮らせばよい、と。でも私はあきらめることができなかった」
将ノ助の熱い目が、私を射った。
「私は水竜の王に〝掟〟をもらいました。人間の姿になるように。水底の秘密をもらさぬよう、重要なことは言えないように。貴女と私が結婚の〝契約〟を交せば、人魚に戻れぬように。そして貴女がほかの男(お)の子と結婚の〝契約〟を交せば、泡になって消えてしまうように、と」
将ノ助の腰に巻きつくような柄の錦は、いっそう鮮やかだった。あまりの眩さに、私は胸が苦しかった。
「その掟により、私は水の泡となって消えなければなりません。私の人間の姿は、陽の入りとともにもう解けてしまいました。もう、お会いすることはできません」
私は悲痛に顔がひき歪み、身に激痛がはしって、胸が打ち割れた。
「そんな! どうしてですか。また湖に戻ることはできないのですか」
「いいえ、お香さま。とり返すことは叶わないのです。時は戻せません。すべては起こってしまったこと。貴女と私が、出会ったときから」
将ノ助は至上の、この世にあるすべてのやさしさに満ちた瞳で、私を見つめた。輝くおだやかな水面が、あたたかな潤いで、私を包みこむように。
「菅野家も、かつては藩主の分家筋で、名の知れた名家であったのに、今は村をおさめる庄屋のようなもの。それでは農民であるのと何ら変わりません。貴女も心を痛めておいでなのでしょう? この結婚で家の暮らしむきも変わるでしょう。藩主の子息と結婚すれば、湖上の城で暮らすこともできるのですよ」
父母の辛い暮らしを思うと、胸が痛んだ。一度、農作業を手伝おうとして、手が赤ぎれだらけになったことがある。
「私は貴女を愛しています。柔らかい微笑みの、やさしい貴女。貴女は幸せになるべきです。そんなに澄んだ目をしているのだから」
私は涙があふれてしまう。ああ、湖の上は淡く霞みがかかっているのに、その上に涙がにじんで、あの方の笑う顔が見えない。将ノ助の姿を、最後の一瞬まで目に焼きつけておきたいのに。
「私は泡と消えます。後悔はしていません。貴女と会えてよかった。さよなら、愛しいお香。どうか幸せに」
将ノ助の体のふちが、光で、霞んだ気がした。
「将ノ助っ!」
飛沫の波を散らして、私は湖の中に駆けこんだ。将ノ助の残光は波間にとけ、泡となってはじけた。細かに立ちのぼるきれいな泡が、淡い光の中で消えてゆく。
私は水の中に座りこんだ。夕紫の日の光がさしこんで、ゆらめく水に、二の腕まで浸かる。将ノ助の泡は、もう跡形もなく、水の海にとけていた。
気がつけば、鯉たちが、私の周りをとり囲んでいた。緋や黄金の色鯉(いろこい)が、水の中を舞った。
私は思わずふふ、と笑う。その拍子に、涙がぽたぽたっと落ちて、二つの小さな波紋は、湖に広がった。
―完―
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
そして今回のテーマソングはアシタカせっき
http://jp.youtube.com/watch?v=ILTwqQoqMFk&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=XQQhauV6leI&feature=related
小説教室で、夏休みヒマやから、宿題やろうや~とゆう話になった。
「テーマは、コイ、な!」
と、(ここのコメント欄でもおなじみの)けんけん君が叫んだ。魚のコイでもええで、とも言った。
なにを~コイツは~んなことを~と思ったが、そういうことになった。
10~15枚の短編小説である。
最初、逆人魚姫で、お城のお姫さまがドレス振り乱して走ってく話にしよう~っという、純粋な恋愛話を考えていた。が、
コイがコイ……。
と、思いついてしまった。
いかん! これではギャグになってしまう! と思って焦ったが、思いついてしまったものはやるしかない!
てなわけでこんな話に……ちゃんと真摯な恋愛話になってるでしょ?;
これを30枚にして、コバルトの短編小説新人賞に応募しようと思います(゚∀゚)
ギャグと雅は衣一重。。
最近のコメント