宗教に引っかかった。
ある人が、「尊敬する人がいるから紹介するよ」というので、何の気なく会いにいった。
おしゃれな店の奧の席にすわっていたのは、こざっぱりした顔立ちの青年実業家だった。
そして、話を聞いていると、ある本をすすめられた。
『金持ち父さん 貧乏父さん』
すべての夢をかなえる基本、のように教えられたこの本は、たしかにおもしろい本だった。
が、後になって友達から聞くと、これは今流行りのネズミ講団体、“アムウェイ”や“ニュースキン”の教科書になっている本らしい。
内容自体はいい本かもしれないが、求心力が高い分、“経典”としてさまざまな組織に利用されているのだろう。一部、ネットワーク・ビジネス(つまりネズミ講)を奨励する文章が書かれている部分には、首をかしげた。
そして、彼に会った次の週には、“オシャレな食事会”に連れていかれた。
そこにいる人たちは善良で、いかにも仕事のできそうな、パリッとした20~30代の若者たちで、明るく気軽に話しかけてくれた。それはもう、しみったれた会社のメンツや、暗い顔して後ろ向きな若者より、よほどイキイキしていた。
そこへ、あの青年実業家が現れた。
するとあっという間に、彼のまわりには、我も我もと人が押し寄せ、話を聞こうと必死な人だかりができた。20人ぐらいだろうか。じっと固まって、青年実業家、”オーナー”さまの言葉に耳をそばだてている。
ここで、何か、おかしいぞ。と思った。
食事会に誘ってくれた信奉者さんは、「これだけ人が集まってくるオーナーさんってすごいよねー」と感激気味に言っているので話にならない。
“オーナー”さんは億万長者、すなわち金持ちすぎて何も仕事をしなくていい自由人らしいのだが、そうなる方法を、信奉者たちに教えてくれているらしい。そういう、素晴らしい人なのだそうだ。
そして、食事会にいた信奉者さんたちが主催する、ラットレース脱出(つまり脱サラ)のためのキャッシュフローゲーム大会というのに連れて行かれた。
株や不動産など、金融ころがしを主にした人生ゲームのようなもので、なんと1セット2万円もするらしい。しかしオーナーの直弟子さんたちは普通に持っていて、それが5ボードも集まって、大人数のゲーム大会となっていた。
やってみると、最初は意味不明だが、慣れればカンタンなもので、現実無視のゲームルールだと次から次へ脱サラして億万長者になれる。
そうしてみんな「夢をかなえたー」と言って喜んでいるが、ちょっと待て、ここにいる全員、現実には脱サラできてないでしょ。
だいたいこのゲーム、不動産の減価償却は? フランチャイズ店の管理は? 株価の値下がりは? 離婚時の慰謝料は? そもそも食費は? 生活費は? 全部無視ですか。そしたらそりゃ土地や債券ころがしてお金持ちにもなれるわな。
なのにゲームが終わったあと、直弟子さん主導の反省会のようなものがあって、「今日もよく勉強になりましたね」でお開きになる。
いやいやいや。実際の金融市場や、経済や法律について勉強する方が先では? それこそ本物の商売人に奉公に出た方がいいのでは? それともそこをオーナーさんは教えてくれているのか?
いったいオーナーさんは、具体的には何を教えてくれるのかと、信奉者さんたちに聞いてみた。すると、
「あり方」
とか、
「オーナーさんと一緒にいると、自分との人間的な違いがわかる」
といった、曖昧模糊な答え方で、どうも的を得ない。
そしてただ無心に、“オーナー”さんの言うことは絶対正しいと、集団で信じ込んで、あがめたてまつっている。
これは、宗教だ。
いや、彼のことを信じている本人たちは、宗教だとはたぶん、露とも思っていない。彼らとしてはまったく“善意不過失”(法律用語。法的に罪を問われない、の意。彼らは知らんだろうが)なのである。
それに悪徳宗教のように、突然金を出させたり、歪みまくった思想を無理やり肯定させようとはしない。
だがどんなに優良な人格者であり、“教え”であり、純粋に信じる人々であっても、
真言密教・弘法大師空海と信仰者しかり、
儒教・孔子と高弟しかり、
それは宗教なのだ。
宗教の教え自体が悪いこととは思わない。『般若心経』や『論語』は、それ自体は“いい本”だ。その教えは人を救い、幸せにするものでもある。
実際信奉者さんは、“彼”に出会ってから、生き方考え方が見違えるように変わって、明るく行動的になれた自分を、誇りに思っている。それはとても良かったなあと思う。
でもその教義を絶対のものとして、他人に押しつけるのはいかがなものか。
あたしはこの、上から言われることを無思考状態で信じこむ集団というものが、会社であれ教室であれ宗教であれ、大キライだ。
彼らは、「自分だけでやろうとしてもできないんだから、先にできた人の言うことを、全て素直に受け入れることが大事」だと、もっともらしく言う。
あたしもエラい人の意見は積極的に聞くし、取り入れたいとも思う。しかし――
その中に自分の意思や、意見の取捨選択はないのか。
上の言うことを全部きく、全傾倒しか許さないぞという空気。反対意見はなく、全員一致で“同じ”ことを考えている気味の悪さ。自分で考えるということが、できなくなっている。他人に操られるコマになっていることに、気づきもしない。
戦前戦後の、いやそれより前からある、国民洗脳のようにキケンではないか。
この人の言うことさえ聞いておけば極楽へ行ける――そんなわけない。
弱いもの同士が手を取りあって、幻の安寧を夢見る。何という負の集団か。そんな吹き溜まりの空気に、触れるのもいやだ。言うたらあたしがウツになった原因自体がコレかもしらん。
そんな集団の一員になる前に、こういう人を集めることによって、その集団の長、指導者が何を得ているか見てみよう。
それはあがめたてまつられる事による王様気分だったり、もしかしたらもしかしなくても、金という利益を搾り取っていたりする。
そんな人の下につく集団の、1人になっていいのか。
否。
言っとくが“エライ人”はお前だけじゃない。世の中は自分以外の全てが先生だ。信者にとってあんたは神なのかもしれんが、あたしは別にあんたのような人間になりたくありません。
だからあたしは宗教や集団心理は好かん。
誰に何と言われようと、あたしは独立独歩型の人間であるらしい。
ただ紹介者さんの、ただ盲信して集会に行っている以外の部分、積極的な声かけや、ポジティブな言葉、行動、たゆまぬ自分磨きをする人間性には、見習うべきものがあった。そんな、いい部分だけは、取り入れていきたい。集会には二度と行かないけれど。
いろんな人に会って、見て、学んでいこう。
で、よくないモノは迷わず断・捨・離! (by古代インドの教え・ヨガ)
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